誰もが自分の個性を信じ、強みを活かして生きられる社会をつくりたい人
豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。連載第10回は、株式会社emisia・代表取締役の二宮佳子さん(46歳)です。
INTERVIEW FILE_10
二宮佳子さん
ホームページの制作・運用サポートを生業とする会社を2018年に起業した二宮佳子さん。起業までの道のりと、独立のきっかけ、そして新たに挑戦を始めた「伝統工芸×雇用創出」の新規事業についてお話をうかがいました。
ゼネコンの現場監督からキャリアが始まった
――起業する前はどういうことをやっていらっしゃったのですか?
私の社会人生活はゼネコンの現場監督からのスタートでした。建築の専門学校でCADを勉強していたので、設計の仕事をするつもりで入社したのですが、建築の現場を知っておいたほうが良い設計ができるだろうという軽い気持ちから、「現場を見たいんです」と伝えたところ、新人なのに現場監督に配属されてしまいました。しかも会社の中では初めての女性現場監督。大きなマンションを何棟か建設する現場に入り、ベテランの職人さんたちに囲まれながら、20代前半の私、がんばっていたと思います(笑)。
――よくやりましたね
負けん気だけは強かったですから。「女だから」とは言わせないという気合と根性の塊だったと思います。でも、すぐに建築現場の職人のおじさんたちとも仲良くなって、3~4年間楽しく仕事をさせてもらいました。
下請けからの脱却と飛び込み営業の日々
会社は、スーパーゼネコンの下請け業務や公共事業の仕事が多かったのですが、ある時、社長が「下請けはもう脱却しよう」という大きな方針転換を宣言します。これからは自社でクライアントを開拓していかなければ、仕事がなくなるという危機感からです。これに伴って誰かが「営業」をしなければならなくなりました。最若手だった私に白羽の矢が立ち、いきなり営業に異動になりました。青天の霹靂でした。
――大きな経営判断があったのですね
営業と言われても何をしたらいいのかさっぱりわかりません。私自身も営業経験はありませんし、コネも人脈もない。社内には教えてくれる人もいません。営業用のチラシすらない状態で、会社から与えられたのはなんと名刺だけ。
――とりあえず外に出てみるものの、途方に暮れた?
その通りです。営業=飛び込み営業だと思っていたものの、大きなビルやマンションは難しそうだ、でも個人の住宅ならば自分にもわかるかもと思い、片っ端から戸建て住宅を飛び込み訪問していきました。まだインターホンがないお宅も多くて、呼び鈴を押すとみなさん顔を出してくださるのですが、私が名刺を一枚渡したところで、話すことが何もないことに気づきます(笑)。これには困りました。住宅地図を片手に、毎日何百軒と訪問はするものの、成果はまったく得られずに営業の難しさを痛感する日々でした。
――心が折れそうですね
そこで私は、キャンペーンを企画しチラシを自作するようになりました。CADを勉強していたのでコンピューターを使って設計図面は書けるのですが、一般的なパソコンは使ったことがない。どうしたと思いますか?
――手書きのチラシですか?
いえ。雑誌や新聞などの紙の文字を切り貼りしてレイアウトしていました。まるで「怪文書」ですよ(笑)。ただ、チラシがあっても、自分のことや事業内容を覚えてもらえるほど話せる内容は持ち合わせていませんから、再度訪問しても忘れられてしまいます。そこで毎月訪問するきっかけにするには新聞にすればいいのではないかと気づき、「最新号をお届けに来ました」と継続訪問する理由を勝手に作りました。
――タッチポイントを増やしていったのですね
私、「100軒訪問したら、喫茶店でサボってもいい」という営業マイ・ルールを決めていました。営業に行く先々で喫茶店を見つけては、「この新聞に広告をタダで入れるから、お店に置かせてください」とマスターに交渉して置いていただきました。そうして喫茶店を拠点にしながら、一軒家を訪問しては玄関先で立ち話を繰り返し、少しずつ仲良くなっていったのです。
大きな仕事はいきなりやって来ない
――現場監督時代と同様、仲良くなるのはお得意のようですね
大きな仕事というのは、いきなりは来ないものなのだと身をもって知りました。やっぱり最初は小さい仕事からなんです。「水道がおかしいから見てくれる?」「重たい荷物があるから運ぶの手伝ってくれない?」そんなちょっとしたお願いから始まって、少しずつ仲良くなっていくと、「ねぇ、こんなこと相談できるかな」と声をかけていただくようになります。土地活用や建て替えの相談などをしてくださる方が増えてくるようになりました。泥臭い営業というのはこういうことを言うのかと納得した思いでした。
また、建設業界はお客様との長いお付き合いが必須です。イベントをしたら皆さんに喜んでいただけるのではないか、会社のことを知っていただく機会がもっと作れるのではないかと思い、お客様を集めてフラワーアレンジメント教室やお茶会などを開催したり、船のクルージングツアーやバスツアーを企画したりしました。最初は人を集めるのもたいへんでしたが、一度来て楽しんでくださった方は次も来てくださるようになり、紹介も手伝って少しずつ軌道にのっていきました。
――怪文書チラシは、その後どうなりました?
自作のA4一枚だったチラシは、A3裏表の新聞になった後、A4でフルカラー8ページの情報誌になり、会員制を導入して1000件以上のお客様に郵送するまでになりました。印刷物の作成ソフトも、最初の一太郎がワードになり、アドビのイラストレータへと進化。すべて独学で身につけましたが、もう「怪文書」とは言わせないところまで作り込むことができていたと思います。集客イベントも好調で、社内に体験型ショールームを作って、建築素材を見て触れることができるようにもなりました。
――営業ツールというよりもはやメディアですね
その間、住宅部門など新しい事業部を立ち上げることになるのですが、新サービスは認知してもらうまで時間がかかります。会社としては「良いものができた」と思っていても、伝えることができないジレンマがありました。想いを形にして伝えるには、一過性のチラシだけでは不十分だと感じ、会社のホームページ制作にとりかかるようになりました。
――ホームページ制作も独学ですか?
まだインターネットを電話回線でつないでいた頃です。「私たちの価値や想いをなんとかして伝えたい」の一心で、必要に迫られて「じゃあ、私が作ります」と手を挙げました。私は根っからの営業好きなんだな、とこの時に気づきました。素人の私が作ったホームページは、内容は充実していたと思いますが、デザインは全然ダメでした。ただ、問い合わせは不思議と増えていって、検索して来てくださるお客様もいらっしゃるようになりました。
学び直しからの転職
――まさにクリエーターですね
安さを売りにした戸建て住宅メーカーが注目されていた時代の中で、素材にこだわった私たちの住宅はちょっと割高に見えました。だからなんとかして価値を伝えないといけないと思っていたんです。価値や想いを伝えて購入していただく、これこそ企画営業ですね。ホームページ制作のスキルは完全に独学ですから、クリエーターなんて恐れ多いです。
一方で、プライベートも充実していて、結婚し3人の息子たちを育てながら働いていました。当時の女性従業員は結婚したら寿退社といって辞める時代です。私も「結婚するので辞めます」と社長に伝えたところ、早々に産休や育休の制度を作ってくださった。実に温かい会社でした。ところが、ちょうど子どもの学校の関係で引っ越さなければならず、残念ながら退職することになったのです。キャリアが中断することになりましたが、せっかくの機会だと思い、それまで独学でやっていたデザインやWEB開発のスキルを専門のスクールで一気に学び直すことに。そしてIT企業に転職しました。
――学び直しからの転職、素晴らしいです!
IT企業では制作部門に配属され、いろいろなことを経験させていただきました。問い合わせがほぼゼロ件だった自社のホームページのテコ入れから始まり、クライアントであるホテル・旅館のホームページやシステム開発も担当しました。また、会社の認知向上の取り組みや、展示会への出展、イベント参加に伴う販促などもしました。助成金を活用したITツールの導入の支援などもやりましたね。
そんな中で気づいたことがありました。IT企業というのは、「作ること」だけがゴールになっていないだろうかと。特にホームページは作ってからがスタートで、どんどん活用していくべきなのに、クライアントも新しいホームページを作ってもらったというだけで満足し、IT企業側も「最初から言われていないから、これ以上は手をかけない」というようなスタンスになっていました。
――多くの企業や団体のホームページは「作っておしまい」になっています
私は違うんです。もっとこうやったほうがいいとどんどん提案したくなるし、アイデアが溢れてくるんです。だって「作ってからがスタート」なのですから。ホームページの役割は、「優秀な営業マン」ともいえるんです。私は勝手に稟議書をどんどん書いて、上層部にさまざまな新しい提案をし続けていましたが、ついに企画広報部という新しい事業部を作ってくれました。私一人だけの部署でしたが、企画・営業・広報をのびのびと行うことができるようになったのです。私は指示されたことをするだけの仕事は向いていないとこの時に悟りました。ゼロから新しい価値や概念、サービスを生み出す「ゼロイチ」の仕事が好きなんですね。
目には見えないけれど大事にしたいもの
――世の中を動かせる人というのは、二宮さんのような方なんですね
そういえば、ゼネコン勤務の時もそうでした。新しいことを提案すると、全員から反対されていました。例えば「認知してもらうためにもっとイベントをやりましょう」と私が会議で発言すると、「それは建築屋の仕事ではない」「本業の仕事がなくなったのかと言われる」と、反対する理由をひたすら挙げられるんです。今までに経験したことがないことに対しては、絶対にYESと言わない人たちばかりでした。ただ、社長だけは別。「やってみたらいいやん」と言ってくれました。
――結果を出せる自信があったのですか?
自信があったかどうかはわかりませんが、私は「結果が出るまでやり続ける」から、必ず結果が出るのだと思っています。諦めないでしつこくやっているだけなんです(笑)。そうやっていくうちに、反対していた人もだんだん手伝ってくれるようになっていった。もしかすると私が皆さんに試されていただけなのかもしれませんが。根回しもうまくなりましたよ。どこを押さえておけばいいか、この場はどんな発言をすべきか、だいぶ社会勉強をさせてもらいました。
――なぜ社長だけが応援してくださったのでしょうか?
私は入社する前から「将来は自分で会社を起業したい」と社長に話していたんです。だから、将来必要になるかもしれないから、会社に入ったらどんな仕事でもやり切ろう、と心に決めていた。周りの従業員の方々は本気で「変わっているやつが入ってきたな」と感じていただけなんだと思いますが、社長は私の思いをご存じだったので、きっと応援してくださったのではないかと。
――見守り、育ててくださったのですね
そうなんです。精神面も鍛えてくださいましたし、「これ読んだらええよ」といろいろな本をくださいました。「引き寄せの法則」とか、中村天風さんや斎藤一人さんや小林正観さんらの著書をたくさん教えてくださいました。素直にこの通りやったらうまくいくんじゃないかなと信じて行動すると、実際うまくいくことが多いんですよね。
建築とITは意外と似ているんです。土地がサーバーで、住所がドメイン。住宅を建てるのは大工さん、システムを構築するのがプログラマー。監督やディレクターの指示で、人を使って何かを作っていくわけですよね。でも、違うのは、昔からあるのが建築で、新しい分野の仕事がITという点。昔からある建築では「目には見えないけど大事にしているもの」がたくさんあって、地鎮祭とか上棟式など「神事」の世界を大切にしています。でも、ITは見えているところしか見ない。とても違和感を抱いたことを覚えています。建築とは真逆の世界だと思いましたね。ゼネコンの時はとにかく顔を向き合わせての挨拶が大事でしたが、ITは「おはようございます」と言ってもみんなパソコンに向かったまま声を出すだけ。目の前にいるのに、直接声をかけずにチャットで会話する。優秀な人たちばかりでしたが、体調を崩してしまう人も多かった。やっぱり人に対して無関心でいると、人間はダメになっていくのかもしれないと思いましたし、挨拶とか気遣いとか思いやりとか、見えない部分を自分はとても大事にしてきたんだということに気づかされました。
私はいったい何をしたい人なのか自問自答する
――2018年4月に独立してemisia(エミシア)を創業、2022年7月には株式会社emisiaとして法人登記されました
素晴らしい商材を持っていてもうまく販売促進活動ができずにいる、あるいは広報の仕方がわからずにチャンスを逃している企業の一助になりたいと思ったのが起業のきっかけです。ゼネコン、IT企業での営業、企画広報の経験から「ホームページは優秀な営業マンである必要がある」という信念がありましたので、営業目線でお客様の「想い」をカタチにする支援をしたいと会社を立ち上げました。ホームページの制作・活用コンサルティング、ホームページの運用サポート・代行、Web広告(リスティング広告、PPC広告など)、既存サイトのリニューアル、ランディングページの制作、チラシやパンフレットの制作を事業の中心とし事業をスタートさせました。
――起業に際してどんな苦労がありましたか?
実は、意気揚々と起業したのはいいけれど、何から始めたらいいのかわからないというのが正直なところでした。ただ、私はずっと人のつながりを大事にしていたことが、結果的に起業後の仕事に結びつくことになりました。ゼネコン時代から、私はお客様に手書きのお手紙を出すことを継続していましたし、年賀状も毎年欠かすことなくお送りしていました。用事がなくても、近くを通った際にはお寄りしてみたり、お留守だった時には名刺を置かせてもらったり。当たり前のようにそういうことを長年やっていたのですが、そんな長いつながりのある皆さまに「起業しました」とご挨拶に行ったところ、そこから一件、また一件とご紹介が増えていって現在に至っているという感じなのです。
――エミシアという社名は何か由来があるのでしょうか?
仕事を続ける中で、必要だからと様々なスキルを学んで身につけてきました。特にITの時は、デザインだけでなくプログラミング言語なども勉強していかなければなりませんでした。ある時ふと「自分はいったい何がしたいのだろう」と自問するようになりました。ちょうど独立しようと思って社名を模索していた頃でした。ホームページが作りたいのかと自分に問うと、作るのは好きだけれど何が何でもというほどではない。デザインも好きだけれど、やはり一番やりたいというわけでもない。自分がやっていることや身につけなければならないと思って勉強していること全部が、別に「それが絶対やりたい」ということじゃないと気づいたんですね。
――では、何がしたかったのですか?
私は「目の前の人を笑顔で幸せにしたい」だけだったというところに行きつきました。それで、笑顔の「笑み(emi)」と幸福の「幸せ(shiawase)」という言葉を掛け合わせて、エミシア(emisia)という名前にしたのです。私がやりたいことは、ただシンプルにそれだけなんだとわかった時には、ものすごく身軽になりました。
――すごい!
本来は、過去に身につけたいろんな技術や知識に執着してしまいがちじゃないですか。「私はこれをやってきた」「これができる」と固執してしまう。そうではなくて、私がやりたいのはシンプルにこれだけとわかったら、時代が変わって社会が変革して今まで身につけてきたスキルが必要なくなったとしても私は大丈夫だというふうに思えたのです。目の前の人のために必要なものをまた勉強して提供すればいいと、社名が決まった瞬間にスッキリしました。
――現在も事業の中心はホームページ制作ですか?
当初はホームページ制作がメインでしたが、昨今はプログラミングの知識は不要で誰でも簡単に作れる時代になってきたことで、私たちの役割も大きく変化しています。先ほど「ホームページは優秀な営業マン」という話をしましたが、実際の営業活動ももはや飛び込み営業の時代ではなくなっていますし、Webマーケティングが当たり前の時代です。私たちが外注先として企業のホームページを作成し、運用代行をするという時代ではなくなりました。企業のWeb担当者、Webマーケティング担当者というのは、パソコンがちょっと得意だからというだけの理由で任命される人が実に多いのですが、ほとんどの人がマーケティングは未経験者です。
そのような人に必要なのは、パソコンのスキルでもWebデザインやプログラミング言語の技術でもありません。むしろ、商売のセンスのほうが必要なんです。ロジカル・シンキングやコミュニケーション能力、そして顧客志向のマーケティングこそ最も重要だと考えています。ですから、現在は「Webマーケティングがわかる広報担当者を育成する」という研修事業に重きを置いた事業展開をしています。このような人材が企業内にいることによって、会社の中のWebマーケティングの基礎体力が上がり、自分たちでホームページの運用も戦略的にできるようになる。私たちが顧客企業での内製化を推進しているわけです。
――外注コストも下がりますね
もちろんです。ただ、大事なことは「自分たちで考えて作る」ということです。自社の商品やサービスの強みは何か、それをどう伝えていったらいいか、必死に考える。これがホームページ作りの基盤になりますし、商売の柱の再認識のプロセスになりますから。聞かれても私が先に答えを教えることは絶対にありません。
――そうか、コンサルではないということですね?
はい。コンサルというのは思考も戦略も他人任せにしてしまうということですから、社内にノウハウは残りませんし、コンサルに依存的にもなっていきます。私の会社のビジネス的にはそれでもいいのですが、私が本来やりたかった「お客様が自走するための支援」には一向につながっていかない。IT企業はスキルや知識が必要ですから「顧客に依存させて離れられないようにする」のが常套手段なのに、私は真逆のことをやっていることになります。自分で考えて自走できる人材を養成するというのは、要するに子育てと一緒なんです。甘やかし過ぎると、育たないですよね(笑)。
――その研修、売れますか?
外注コストと自社内製の比較をすればメリットは一目瞭然。自社で内製できる人材を育成する研修費用で済みますし、その研修費用も政府のリスキリング助成金を使うことである程度返還されます。しかも愛社精神に満ち溢れたマーケティング人材が育つ。
――なるほど。私が経営者ならすぐにやらせますね
研修メニューはいくつかパッケージにしていますし、オンラインで受講できますから、学習しやすいと思います。
伝統工芸×雇用創出の新規事業に挑戦
――豊中市チャレンジ事業補助金を活用して社会課題の解決に取り組んでおられるとうかがいました
2018年の起業から事業は順調に来ている一方で、AIの登場やフリーランスの乱立による価格破壊による長期的な事業リスクも考えていかなければならないと思っていました。できることなら、世の中の役に立つ、社会貢献につながる事業をやりたい。そんな時に、ある「人形」に出会いました。
――人形?
スマートドールという人形です。インターネットでしか販売されていないのですが、私のお客様でアパレル関係の方からご紹介いただいて知ることになりました。人間の洋服を作るよりも、人形用の洋服を作るほうが、はるかにコストがかかることがわかり、そのお客様は苦心しておられました。スマートドールの洋服は「人形服」という考えではなく、「人間のミニチュアアパレル」というコンセプトで、パーツが細かいわりには精巧に作らなければならないからです。そこで私が、このスマートドールに着せる洋服を、日本の伝統工芸である着物をリメイクして製造し、海外に向けて販売を行うビジネスを企画しました。また、製造に関しては、着物のパーツごとに仕組み化をして、主婦やご年配の方の手仕事として雇用を創出していきたいと考えているのです。
ちょうどその頃に伝統工芸の方々とお話しする機会がありました。日本の伝統工芸はマーケットが縮小しています。捨てられる着物もあるし、担い手も減り、衰退の危機を迎えているわけです。また日本の伝統工芸全般に閉鎖的傾向があるのか、長い間効果的な情報発信ができていない。なんとかしてこの伝統工芸を守ることはできないだろうかという課題が浮き彫りになりました。
――スマートドールについてもう少し詳しく教えてください
スマートドールというのは、MIRAI株式会社が設計・製造しているファッションドールです。人形本体も洋服もすべて日本国内での手作りにこだわっていて、高付加価値のある人形です。かつて戦後日本の復興を支えた玩具輸出産業でしたが、アジア諸国の製造業に取って代わられ、日本から玩具の生産が遠ざかってしまいました。その玩具産業を再び日本から、という強い思いを持っています。また、スマートドールには日本的美意識の中にある侘び寂びのコンセプトがあります。見ていただくとわかるのですが、アニメ顔をしていながら人間に近い顔の子もいて、左右があえて非対称になっています。顔にあざがあるとか、ペースメーカーをつけているなど、いろいろ個性があるんですね。ただ、洋服のバリエーションがまだまだ少ないんです。
――ブルーオーシャンですね
海外の方は日本のものが好きですし、着物も人気です。そして日本国内では縫子(ぬいこ)さんの手も余っている。これは社会貢献につながるビジネスになりそうだと思いました。思い出していただきたいのですが、新型コロナウイルスの時にマスクが不足したことから、手作りマスクを一生懸命作っている人が多かったですよね。でもそんなに売れないじゃないですか。仕事としてやっても、ボランティア的な金額にしかならなかった。でも、このスマートドールの着物を作る内職ならば、高単価で仕事ができるかもしれません。縫い物が上手なお年寄りの方とか、医療ケアが必要で外に働きに出ていけない方とか、幼い子を抱えていて外に働きに行けないお母さんとか、そういう方々が「針と糸」だけで仕事ができる。あとは、就労継続支援B型、就労継続支援A型の福祉支援サービスの一環としても、スマートドール用の洋服のパーツ作りなどの雇用の手助けになりそうだと思っています。
――簡単に縫えるものなのですか?
型紙や製作指示書はできていますが、まだまだ試行錯誤をしています。細部までリアルを限りなく追及する一方で、海外のオーナーさんでも簡単に美しく着付けられるようにしなければなりませんから。2年くらい前から着物を仕入れ、縫子さんを募集して、オリジナルのトルソーも作って、実製作を開始しています。ビジネスモデルについても、マーケット分析やペルソナの設定、販売単価や販売方法の検討、収支計画も進めてきました。プロトタイプ(試作品)はいくつかのEXPO(展示会)に出展しています。いよいよ本格的に製造・販売へと進んでいくところです。
――「人形」ではなく「人間のミニチュア」と考えたら、スマートドールの活躍の場も増えますね
私はイベントをして外に出してあげたいと考えています。ファッションショーとか撮影会とか。着物を着たスマートドールたちが神社仏閣に行って撮影会とか楽しそうじゃないですか。足袋や草履、番傘など、小物の需要も増えると、その製作者も必要になってくる。御朱印帳も欲しいですね。あとは大工さんと畳屋さんにも相談していて、スマートドール用の茶室を作るアイデアも出ています。
一発でうまくいくことなんかない
――可能性が広がりますね。二宮さんはもともとオタク的な嗜好もあったのですか?
いえ、まったくこの世界は知りませんでした。でも、価値の高い領域だと思い、挑戦しています。新しいことを始める時は、いつもあまり不安がないんです。面白そうだと思ったら、もう始めているのが私です。
――そうしていつの間にか第一人者になっている(笑)
走りながら考えるタイプ(笑)。結果からお話ししていますからうまくやっているように見えるかもしれませんが、私は基本的に一発でうまくいったことなど一つもありません。できなくて当然、と思ってやることが大事。すると、失敗しても「これが普通」と思えるから、めげずにやり方を変えてみる。それでダメでも「当たり前」と思って、またやり方を変える。変えて、変えて、変えていくと、うまくいく道がやっと見つかる。そんな感じです。そうすると、大きな失敗はなくなるんです。だって、私は成功するまでやり続けるのですから。
――そういうことなのですね。今の悩みは何ですか?
この着物の背中の部分に台座とスマートドールをつなぐ「穴」が必要なんですよ。これがうまくいかない。もうずっと悩んでいます。どうしたらいいのか、いい方法がないか教えてください。
――経営者の二宮さんが、そんなことを悩んでいるとは。なんか楽しそうですね
夢が広がるからでしょうね。あとはね、作りたい!縫いたい!という人達がわくわくして待っていると思っているから。もうECサイトも完成しているので、急がないとね。
私、悩みがないわけではないのですが、悩みと捉えずにいつも課題と置き換えるようにしています。問題点として捉えるということは、どう対処しようか速やかに考えればいいというだけのことです。対処法が一人では見つけられなかったら、異業種の仲間がいっぱいいるので、その人たちに話を聞いてもらうと、自分とはまったく違う視点でいろんなことを教えてくれます。そこから仕事のヒントを得ることも実に多い。だいたい飲みながらですが(笑)。
――最後に。起業して何が変わったか教えてください
ゼネコンやIT企業に勤めていた時、学生時代はなんであんなに楽しかったのかなと考えることがたびたびありました。年齢を重ねていくと、だんだん世の中に染まっているような感覚がありますよね。「私、どんどんつまらない人間になっている」みたいな。社会人は常識人であれと刷り込まれていくんですね、きっと。学生時代までは結構破天荒にやっていたのに、どんどんカタい人、普通の人になっていく焦りみたいなものを感じるようになっていました。それが、起業して自分でビジネスをやり出したら、一気に気持ちが自由になって昔に戻った感覚がありました。人生が豊かに感じた瞬間でした。だから、そこが私の人生のターニングポイントになったと思います。
――素晴らしい。誰もが自分の個性を信じること、自分の強みを活かして生きること、そういう社会にしたいと心の底から願っている人だと確信しました
やっぱり誰かに合わせた自分のままだったら、自分の人生を生きることはできません。自分らしく生きている人は、他人のことに文句を言う人はいませんが、我慢しながら生きている人ほど他人が許せないと感じているのではないでしょうか。不寛容な時代の原因はそこにあるような気もします。自分の人生を自由に生きられる、そんな世の中を作りたいですね。
株式会社emisia
代表取締役
二宮佳子さん
株式会社emisia公式サイト
https://emisia.biz/
【取材後記】
豊中では長年ボーイスカウトの指導者もしているという二宮さん。アウトドアが大好きでキャンプや登山にもよく出かけ、サバイバルにも慣れているそうです。困難を困難と思わず、失敗を失敗と思わない。解決するまでトライし続けるからこそ、成功に辿り着く。まさに、サバイバルの場面ではそのようにしないと生き残れないわけですから、合点がいきました。
「自分はいったい何をしたい人なのか」自問自答した部分に人生のヒントがあります。目の前の役割、与えられている仕事、そのものが「自分らしいこと」と思いがちですが、「本当にそうなのか」と考えてみる必要がある、と気づかされました。ゼネコンに就職した時からの二宮さんの歩みを辿ってみると、起業までの道のりは実に辻褄が合っていたことにお気づきになられたと思います。皆さんも一度立ち止まって、「自分は何をしたい人なのか」と自問してみてはいかがでしょうか。
次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきます。
【取材・文】たねとしお/明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。関西支社勤務時代には曽根に在住。リクルート卒業後は「男の隠れ家」出版局長を経て、現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。ゆめのたね放送局オレンジチャンネル日曜朝7時30分~「社会人大学院へ行こう」番組パーソナリティとしても活躍中。