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最も市民に近いところで音楽あふれるまちづくりを推進しているピアニスト

豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。第9回は、サウンドステーションin豊南市場で木曜コンサートを行うピアニスト・中野聡子(としこ)さん(56歳)です。

INTERVIEW FILE_9
音楽で豊中に幸せと平和をもたらす中野聡子さん

庄内駅前の豊南市場。「サウンドステーションin豊南市場」で木曜日の午前11時~11時40分、演奏家を招いて毎週コンサートを開催しているピアニストが中野聡子(としこ)さんです。自身のコンサートではソロ演奏を披露しますが、ここでは基本的には伴奏者。主役である別の楽器演奏者と共演する役ですが、中野さんは演奏者に寄り添いながらも、自身が音楽を楽しんでピアノを弾いているのがよくわかります。ここは、上質で本格的なのにものすごく親しみを感じる生演奏が、手が届きそうな距離感で奏でられる場所なのです。豊南市場の買い物客が老若男女問わずハートをわしづかみにされてしまう、ピアニスト中野さんの音楽の原点を探りました。


ピアノがわが家にやってきた日のときめき

――小学生の頃からピアニストになりたいという夢を抱いていたそうですが、どんな子ども時代を過ごされたのですか?

自然豊かな岐阜県の高山市で生まれ育ちました。音楽との最初の出会いは家の近くにあった音楽教室です。習い事の一つとして母に連れていってもらいました。両親が音楽をやっていたわけでもありません。幼児期に楽しみながら音楽の基礎を学ぶ音感教育が、日本各地で流行り始めていた時代です。私も音感を習っていたのですが、小学校1年からはピアノを始めました。

小1のときにピアノを買ってもらいました。学校から帰ったらピアノが家に届いているという日、急いで家に帰ったのですが、私はすぐ家には入らなかったのです。家の外から窓越しに部屋の中にピアノがあるのを見て、「わぁ、本当に私の家にピアノがある!」と確認してから家に入ったのをよく覚えています。

――うれしかったのですね。ピアノが来るまでの練習はどうしていたのですか?

自宅にあったヤマハのエレクトーンで練習していました。私、エレクトーンも大好きで、高校3年生まで続けていたんですよ。

――それはすごい。途中でピアノ派とエレクトーン派に分かれるものでしたが、二刀流で高校生まで両立された方は珍しいですね。ピアニストになりたいという思いはいつ頃から芽生えたのでしょうか?

小6の卒業文集には「ピアニストとして世界中を回って、世界を平和にしたい」と書いていました。

サウンドステーションin豊南市場に設置されたピアノと中野さん

世界中に平和と幸せをもたらすピアニストになりたい

――ピアノで世界平和とはどういうことですか?

「世界中のいろんな国や地域に演奏旅行に行って、聴いている人たちみんなを幸せにしたい」ということです。今振り返っても、その思いはブレずに現在まで続いていると実感しています。音楽大学を卒業してからも外国に演奏旅行に行ったりしていますから夢は叶ったと思います。

――小6で世界の平和と幸せを願うとは。小学校の6年間に何があったのですか?

とにかく普通によく遊ぶ子でしたが、習い事も大好きでした。ピアノやエレクトーンのほか、お習字やそろばんも好きで、当時は「そろばんとピアノの中野さん」と言われていたほどです。

――そろばんとピアノ、共通点はありますか?

「音」だと思います。そろばんの競技会に仲間とバスに乗って遠征するのが楽しみでした。いざ競技会が始まると、シーンとした静寂の中で一斉にパチパチパチパチとそろばんの音だけがするんですよ。高速でそろばんをはじきますから、ものすごい音が会場に響き渡ります。張り詰めた空気と、そろばんの音が大好きでした。いつも読上算をしてくださる珠算学校の校長の中谷先生の声の響きも大好きでした。

――数々の習い事で充実した子ども時代を過ごしたのですね

友達とよく缶蹴りや鬼ごっこをして遊んでいました。みんなが探検に行く日が土曜日で、私のピアノのレッスン日と重なっていたんですよ。親に泣いてお願いして「今日だけピアノを休んでみんなと洞窟探検に行きたい」と頼んだこともありました。

――「世界中を幸せに」という思いの源泉はまだ見えてきませんが

おそらく読書好きだったことが大きいのだと思います。冒険小説やドキュメンタリーに加え、特に伝記が好きで、いろいろな一流の人々や、ピアニストや作曲家、音楽家の本を好んで読んでいました。音楽の巨匠たちは皆、「音楽の究極の目標は世界が幸せになること」と語っていました。音楽を通じて世界中の人々が仲良くなれる、そういう生き様にとても共感したのだと思います。

夢を応援してくれた両親

――特に好きだった音楽家は?

ショパンが好きで、ショパン国際ピアノコンクールを聴きにポーランドに行ってみたいと憧れていました。最初は子犬のワルツから、小6の頃は幻想即興曲を弾いていました。実はいまだにポーランドには行けていないのですが。今は配信でコンクールの様子を見ることができるようになりましたから、いい時代になりましたよね。でも反面、行ってみたい!と憧れる気持ちが薄れているようにも感じます。これは国際コンクールだけの問題ではなく、一般のクラシックのコンサートでも、実際に会場に行って聴いてみたいと思う気持ちを大事にしたいですよね。

――小6で幻想即興曲を弾いていたのですか!?

はい。言うほど難しくない曲です。高山のお店でも手に入るピアノ曲のピース版(一曲だけの楽譜)が中心でしたが、好きな曲の楽譜を買って弾いていました。高校生になると音楽大学受験のために京都の先生宅までレッスンに通うようになり、都会の楽譜屋さんで世界中の出版社の楽譜が買えるようになったんです。この衝撃と喜びは大きかったですね。

――高山から京都にレッスンで通ったのもすごい話です

わが家では私以外クラシック音楽をやっていないわりには、とても理解がありました。高校の頃にショパン国際ピアノコンクールでスタニスラフ・ブーニンが優勝しました。高山にはコンサートホールがなくて、コンサートを聴くためには、JR高山線で3時間以上かけて名古屋に行くしかありません。父が連れて行ってくれて、名古屋でのブーニンのコンサートを生で聴くことができたんです。

――素敵なご両親ですね

夢を応援してくれる親だったと思います。今もそうですが、私のリサイタルの時には可能な限り高山から出て来てくれます。私がいつまでもピアノを続けるというのが、母の願いですね。好きなピアノを生き生きと弾いている姿を見るのが好きなのでしょうね。サウンドステーションでの木曜コンサートの様子も、毎週、母に写真を送っています。高山で買ってもらった衣装を来て弾いた時などは、母もとても喜んでくれます。離れていますけど、常に感謝しています。

――お父さんは?

父も同じく応援してくれています。学費が高く、最初は音楽大学進学は「絶対無理、行かせられない」と言っていたのですが、結局4年間の大阪音楽大学での学費を出してくれました。今は私のことも「学費は出してあげたけれど、生活費は奨学金とアルバイトをして音楽大学を卒業したんだ」って、いろんなところで自慢しているようです。

――生活費は中野さんご自身で稼いでいたのですか!?

朝6時半から寮の前の喫茶店で働いたり、ブライダル演奏や飲食店でも弾きましたね。梅田でティッシュ配りや電話受付のアルバイトも、いろいろな仕事を楽しんでいました。

――アルバイトに明け暮れた大学生活だったのですか?

ピアノの練習時間を犠牲にしたくはなかったので、大学には練習室が使える22時までいてできるだけピアノを弾いていました。寮には寝る時間以外はほとんどいませんでした。昼ごはんも晩ごはんも大学の食堂で食べていたので、友達からは「中野は寮じゃなくて学校に住んでいる」と言われてました(笑)。

――学校が好きなんですね

庄内にある大阪音楽大学が母校ですが、今も大学で演奏員をやっているのと、大学付属の音楽院ではソルフェージュを教えていますから、ずっと学校に行っていることになりますね。大学には図書館もあって、私、図書館がないと生きていけないぐらい図書館が好きなんです。大阪音楽大学は楽譜などの音楽関連図書の蔵書数がとても多いので有名なんです。作曲家の自筆譜とかファクシミリ譜(自筆譜や初版楽譜を写真製版した出版譜)などの珍しい楽譜も多いですし、海外の楽譜など洋書は高額なものもありますから、それらが直に見られることは演奏家にとって貴重なんです。

2025年1月5日「みんなのニューイヤーコンサート」(豊中市立文化芸術センター)

中野さんのピアノは海の音がする

――小6でショパンの幻想即興曲が弾けるようになって、中学、高校とずっと「ピアニストになって世界平和の担い手になる」という夢を抱いていたわけですが、ブレることはなかったのですね

はい、ブレずに「世界平和を」と思い続けていました。中学校に入った私は吹奏楽部でフルートを吹くことになり、ここで「みんなと合奏することが大好き」ということに気づきまして、それが今の仕事にとっても生きています。それと、中学の時には、校内の合唱コンクールがありますよね。ピアノ伴奏をしたのですが、その時のことは今でもよく覚えています。

――何があったのですか?

「貝のファンタジー」という課題曲で、私のピアノを聴いた先生が、「中野さんのピアノは海の音がする」と言ってくださった。代表が集まって歌う機会にも、私の伴奏でやりましょうと言ってくださって、とてもうれしかったですね。先生のそういう言葉が、私がブレずにピアニストを目指す後押しの一つになっていました。

――音楽の先生ですか?

いえ、中学のクラスの担任で、蒲先生という数学の先生でした。なんかね、「THE 青春」を絵に描いたような先生で(笑)。朝、教室に行くと、ひとりでギターを弾きながら「翼をください」を歌っているような先生です。「みんな、心を合わせて歌おう!」みたいな情熱に満ち溢れた先生でした。

その「海の音がする」と言われた体験は今もずっと貴重な原体験として覚えていて、いまだに私がピアノを弾く時の理想形になっています。ピアノの音を聴いた人が何かを感じてくれるような演奏をしたい。ただ正確な音程やリズムを奏でるだけではなく、私の心が込もった感情が伝わる演奏をしたい。先生から「海の音がする」と言われたように、私の音楽で聴く人の心に波紋が広がるような、そんな演奏を常に目指しています。

――演奏家の本質を見抜いてくださったのですね

そうですね。高校の先生も好きでした。京都にピアノのレッスンに行くために学校を休むのですが、進学校だったのでそれをよく思わない先生もいるんですよ。でも、担任の木田先生に朝「今日は風邪で休みます」と電話をすると、「頑張って来いよ!」と言ってくれて(笑)。「勉強はあまりできないやろうけど、お前にはピアノがあるからそれでいいよ!」とも言ってくださいました。高校でも吹奏楽部でフルートを吹いていて、朝・昼・放課後と練習に明け暮れていました。私の高校には「白線流し」をする習わしがあり、卒業生たちの学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結びつけて、雪の降る中、みんなで「巴城ケ丘別離の歌」という歌を歌いながら川に流すんです。ドキュメンタリーになったり、モデル校としてドラマ化されたりして有名になりましたね。

「みんなのニューイヤーコンサート」の楽屋で出演者たちと

いい先生との出会いとアンサンブルの魅力

――音楽の先生って「海の音が聞こえるように弾きなさい」という直接的な指導はしませんよね

ヨーロッパの先生の指導は近いものがありました。例えばベートーベンの「月光」のレッスンでは、急に「君、●●●の▲▲▲っていう本を読んだことあるかい?」と言ってくるんですよ。「あの本の冒頭の、霧の中のもやもやした場面、知ってますか?」なんて言われたことがあって。先生は何を言いたいのか、自分の頭の中で一生懸命に考えるわけですよ。ヨーロッパの先生ってとても抽象的なことをおっしゃる方が多くて、「ここを弱く弾きなさい」というふうには言われない。あの小説を読みなさいなどと奥深いことを言われますから、考えますよね。だから言われた本は必ず読むようになるし。ドビュッシーの曲の時には、「●●の絵を見たことがありますか?」からレッスンが始まったこともありました。指導者だけではなく、共演する外国のアーティストの方も、「こうやって弾いて欲しい」とはおっしゃいません。詩的な表現をされる方が多いですから、とてもかっこいいですよね。私も生徒にはそういうことが大切だと伝えるようにしています。

――音って演奏者が描いているイメージで変わるんですね

そこが音楽のおもしろいところです。あと、中学時代のピアノの原田先生からもすごく影響を受けました。例えば、私がショパンの「子犬のワルツ」を弾く時には、一本のカセットテープに「子犬のワルツ」を何種類か違うピアニストの演奏を録音してくださる先生でした。

――そんな先生、なかなかいませんよ

そうなんです。私もそんな手間のかかることはなかなかしません(笑)。生徒のために音源を編集して……なんて、すごくないですか。スマートに弾いてしまうピアニストもいれば、テンポを崩して弾くホロヴィッツのような巨匠もいる。同じ曲が演奏家によってこんなにも違うということを、中学時代にその先生から学んだ感じですね。

――いい先生との出会いがあって、学校生活がドラマのようですね

昔も今も、出会いに恵まれていると思います。木曜コンサートで毎回違うゲストさんを呼んでいるおかげで、出会いの輪が広がり、人と繋がっていくのが楽しいです。人生は自分が主役のドラマですから。

――伴奏者である中野さんが、主役ではないのに本当に楽しそうにピアノを弾いている様子が全身から感じられるのがとても印象的です

豊南市場を訪れる皆さんに、サウンドステーションでいろんな楽器に出会ってほしいと願う気持ちもありますが、本当は私自身が毎週毎週一番楽しんでいるコンサートなんですよね(笑)。

12月19日の木曜コンサート第200回記念の準備の様子。くす玉も題字も中野さんの作

市場の中で本格的なコンサートに出会える

――中野さんが木曜コンサートを始めるきっかけは何だったのですか?

サウンドステーションin豊南市場は、2020年6月1日に開設・設置された「ストリートピアノ」が始まりでした。豊中南ライオンズクラブが主体になって豊南市場内の空き店舗を借り上げた場所に、大阪音楽大学から提供されたグランドピアノを置きました。そのピアノの弾き初めの日に、私がピアノを弾いたのが出会いです。私が「定期的に木曜日にコンサートをやりましょうか」と提案したところが「木曜コンサート」のスタートになりました。

――毎週続けていらっしゃるのが素晴らしいですよね

おかげさまで2024年の12月19日で200回を迎えることができました。毎週楽しみに聴きに来てくださるお客様も増えました。演奏の感想なども直接お話ししてくださる方も多くて、その距離感もとても素敵ですよね。2023年2月5日にNHKの「街角ピアノ」で紹介され、繰り返し再放送されていることで、全国区で注目されるようになりました。

――木曜コンサートに演奏に来てくださる音楽家はどんな方々なんですか?

友人の音楽家たちです。彼らによって、さまざまな楽器や歌などが主役のコンサートになっています。私がずっとモットーにしているのが「生演奏を楽しんで聴いていただく」ということなんです。コンサートホールのように閉鎖された空間ではなく、日常の生活空間で音楽が鳴っている感じです。しかも演奏者との距離が近い。長く続けていると、来てくださる人同士が仲良くなって、コミュニティのようになっているんです。

――200回も続いていることがすごいです

本番は200回ですが、どの演奏者とも必ず事前リハーサルをしていますから、木曜コンサートのために結構時間をかけていることになります。でも、まったく苦にはならないんです。私自身が楽しみにしていますから。私は毎週やっているからといって、BGMのようには演奏したくはないので、ちゃんと選曲してちゃんと練習して、相手の演奏者も満足できるコンサートとして、きっちり仕上げての200回なんです。

200回記念の木曜コンサートのゲストは、豊中市在住のバイオリニスト・石塚和基さん。この距離感での生演奏は圧巻でした

音楽あふれるまちづくりを体現できる場

――サウンドステーションは、豊中市民の皆さんにとってどういう役割があると思いますか?

毎週欠かさず来てくださっている方が何名かいらっしゃいます。設立して4年経って、「音楽あふれるわくわくする場所」となっている気がします。この豊南市場で音楽にふれることが音楽の入口になって、さらにコンサートホールに行く導線になってくれると、本来の目的でもある「音楽あふれるまちづくり」に貢献できていると実感できるようになるなと思っています。私がホールでドレスを着て演奏をしているときも、市場と同じように楽しんでくださるようになるのではないかなと、期待します。クラシックの敷居を下げたいですね。

――どうやって敷居を下げますか?

市場コンサートで、豊中市民のクラシックの敷居はだいぶ下がってると思います。例えば、200回の木曜コンサートのうち、今日演奏したクライスラー作曲の「愛の喜び」は、演奏曲が何度かかぶってしまうこともあるんですよ。いろんな楽器で皆さんがこの曲を聴いておられるんですよね。たぶん曲も覚えていらっしゃるし、耳がだんだん肥えてくる方もいて、割と厳しめに「前の楽器のほうがよかった」とか「だんだん上手になってきたね」とか、言ってこられるんです。

――それはうれしいですね

そうなんです。クラシックって耳になじんできたら難しくないんです。大阪音楽大学の学生に場慣れをしてほしい気持ちもあって出演してもらうようにしていますが、学生の場合は試験前などは練習を兼ねて本気の難しい曲を披露することもあります。そんなときでも皆さん「すごくよかったわ」と言ってくださるようになりました。知らない曲でも演奏を「よかった」と言ってくださるのがうれしいですね。日本は、ヨーロッパに比べたら街でバイオリンを弾いている人に出くわすわけでもないし、梅田の路上で音楽を演奏している人もクラシックを弾いているわけではないですよね。

――確かに、日常生活のなかでクラシックに出会える場って少ないですね

日本各地の街角にストリートピアノは増えてきましたが、同じようにバイオリンを目にしたり音色を直に聴いたり、知らない珍しい民族楽器に街でたまたま出会ったりということはなかなかありません。前もって言ってくだされば皆さんのリクエストに応える演奏をすることもあります。先日は常連さんから「You raise me up」を聴きたいと言われていて、ソプラノ歌手に歌ってもらったのですが、その方から「楽しみのあまり前の晩から眠れなかった」と言われました。またある方は、普段はあまりお話しにならないのですが、「明治一代女」が好きとおっしゃっていたので、フォークシンガーの方に歌っていただいたところ、「昔私は音楽をやっていて…」とものすごい笑顔でしゃべり始めたということもありました。昔好きだった曲を聴くと、脳が活性化するのかもしれませんね。豊南市場に来て音楽を聴くことで、皆さんの健康にも貢献できそうです。

――小さいお子さんはどうですか?

幼稚園の頃に毎週来てくれていた男の子が、小学校に上がったら来られなくなったのですが、ピアノも上手になっていて。最近は私と連弾したり、オペラにも出てもらったりしています。赤ちゃんと一緒に聴きに来てくださるママさんもいます。そういう子ども達が大きくなって音楽好きになってくれるとすごくうれしいですよね。高齢の方には健康に良く、お子さんには情操教育に良い。

――豊中は、音楽あふれるまちに近づいていますね

演奏家にとっては市場の中にピアノがあって市場で演奏するというのは珍しいんですよ。例えば「おおシャンゼリゼ」を弾くと、市場がまるでマルシェみたいな雰囲気になってくるんです。弾く音楽によって、場所の見え方が変わるという不思議な体験ができます。先日はスペイン音楽をギターで演奏していただいたのですが、本当にスペインにいるみたいな感じになりました。カンツォーネを歌ったら、イタリアっぽくなるし(笑)。そういう音楽を聴くと、景色も変わるっていうことを間近で体感できる場所なんです。

――「中野さんのピアノは海の音がする」と中学時代の先生が言ってくださったところに通じますね。「音楽によって景色が変わる」、すごくいい!

音楽を聴きに行こうっていうのももちろんですが、景色を見にコンサートに行こうというのもいいと思いませんか。豊南市場に向かいながら、今日はイタリアに行ってみるかな、それともスペインかななんて想像するだけで楽しくなりますし。そんな音楽にふれたら、帰りにはトマトとパスタとチーズ、それにワインを買って帰りたくなりますよね(笑)。

サウンドステーションin豊南市場でのコンサートスケジュールなどは、こうして掲示されています

市場では騒音もその場の即興音楽になる

――中野さんが音楽からもらったものって何ですか?

人と人の繋がり、かな。ステージでピアノを弾いているときが、私は一番自分を出せる時間だと思っているので、そういう意味では「自分を出せる時間」も音楽からもらっていると思いますね。

――自分を出せないでいる人って多いですからね

生徒は発表会で弾くことがありますよね。ステージ袖から出て行ってお辞儀をして、そして再び袖に帰ってくるまでは、自分一人の責任であの場を何とかするわけですよ。とにかく精一杯やらないと、人の心を打つこともできないし。私は自分でそう思っているので、生徒にも同じように言っています。発表会のその日まで時間をかけて練習してきて、本番で上手くいったときの達成感を味わってほしいなと思いますね。音楽家にならなくてもいいから、人前でピアノを弾くことで感じてくれるとうれしいですね。

ピアノってすごくないですか。この時代にあってデジタル化されてないというか、演奏は昔から同じ作業だけじゃないですか。黒白の鍵盤があって、楽譜を見てみんなが同じ曲を弾くっていう。打ち込み音楽もありますけど、ピアノを弾くというのはすごく普遍的なこと。昔からそれは一緒で、そういうことが大事なんだよということを子どもたちに伝え続けたいと思っています。

――ピアノを深めていくためには何が必要なのでしょうか?

指導者としてさまざまアドバイスはしますが、弾けるようになったら、とにかく「自分の思うように、好きなように弾いてごらん」ということを一番大事にしています。やっぱり、人によって演奏が違うというのが最大の魅力じゃないでしょうか。同じ演奏者であっても日によって、場所によって、相手によっても違ってくるし。アンサンブルが面白いのもそういった理由でしょうね。

――市場のようなガヤガヤしたところでの演奏は、気になりませんか?

豊南市場で演奏しているとね、赤ちゃんの泣き声も、道行くバイクのエンジン音も、全部が音楽に聞こえてくるんですよ。いつだったか、演奏が終わるタイミングでクルマのクラクションが「パーーーン」と長く鳴ったことがありました。ちょうど音の高さが同じで、「私、ピアノを切っているのに音が終わらない!」と思ったら、クラクションの音だった(笑)。見事な偶然のコラボでした。

――むしろ、市場でのコンサートのほうがよさそう!とさえ思えてきました

ぜひ、私が企画するコンサートにも来てください。毎月1回の上野坂ホームコンサートにも出演&プロデュースで参加していますし、3月22日には豊中市立ローズ文化ホールでオペラをして、豊中キッズコーラスに参加してもらいます。9月23日には豊中市立文化芸術センターでリサイタル「1台のピアノの可能性1手~8手!」を企画中です。市場ステージもコンサートホールも、皆さんに楽しんでほしいと願っています。豊中で一緒に音楽ある豊かな人生を過ごしましょう。

3月22日のオペラ「ルネ王の娘」にもお越しください
第200回記念の木曜コンサートは大盛況でした

ピアニスト
「サウンドステーション実行委員会」実行委員長
中野聡子(なかのとしこ)さん

サウンドステーションin豊南市場
住所:大阪府豊中市庄内東町1-7-19 豊南市場内
アクセス:阪急宝塚線「庄内駅」下車 東出口より徒歩1分
主催:サウンドステーション実行委員会
「木曜コンサート」毎週木曜日11時~11時40分
ピアノ:中野聡子
ゲスト:1月、2月の予定
1月9日 オカリナ/山中純
1月16日 フルート/北川聖香
1月23日 シンガーソングライター/木下徹
1月30日 トロンボーン/岡村哲朗
2月6日 シンガーソングライター/遠藤真人
2月13日 フルート三重奏/田島翔太朗、武山つづみ、平形星二
2月20日 ヘグム/李美香 & 朝鮮舞踊/金妙穂
2月27日 星星(ユニット名) ボイスパーカッション/KAZZ & 二胡・ヴォーカル/鳴尾牧子

中野聡子さんの演奏はこちらのYouTubeから聴くことができます

【取材後記】
コンサートホールの華やかな舞台で活躍しているプロの音楽家は、どのような子ども時代を過ごして音楽家としての源泉となる種を見つけていき、それをどんなふうにして育んでいったのか、それを知りたいと思いインタビューをお願いしました。

音楽を聴きに行くという視点を、音楽によって違う景色を見に行ってみようという視点に変えることで、音楽会はもっともっと聴く側の人々を豊かにすることができるということに気がつきました。そういう意味でも、毎週木曜日に無料で開催されているサウンドステーションin豊南市場での40分間のパフォーマンスは、もはや豊中市民にとってかけがえのない財産になっています。今度はどんな景色が見られるのか、楽しみになってきますよね。木曜日、会場で皆さんが見た景色がどんなふうだったか、みんなでお話しできるとうれしいですね。

次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきます。

【取材・文】たねとしお/明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。関西支社勤務時代には曽根に在住。リクルート卒業後は「男の隠れ家」出版局長を経て、現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。ゆめのたね放送局オレンジチャンネル日曜朝7時30分~「社会人大学院へ行こう」番組パーソナリティとしても活躍中。


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