見出し画像

植物の力でしあわせを創り出す人

豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。連載第8回は、豊中市でバラエングループ(6社)を経営する金岡信康さん(60歳)です。

INTERVIEW FILE_8
植物とともに生きる四代目金岡又右衛門こと金岡信康さん

明治13年(1880年)に先進的な花き園芸生産業者として、現在の宝塚市山本にて創業した薔薇園植物場。二代目による法人化以降、今日に至るまで実に144年にわたって事業を拡大し続けています。現在は豊中市にも一大拠点を構え、バラエングループ全体の経営を担っているのが、金岡信康さんです。


創業144年の老舗企業を二刀流で受け継ぐ

――金岡信康さんと四代目金岡又右衛門さん、名前が二刀流ですね

薔薇園植物場の経営者としては、本名である金岡信康を使っています。企業ですから、当然利益を目指しています。私たちバラエングループ(主要会社である薔薇園植物場)の基幹事業は植物の卸業です。仲卸業者として市場内に店舗を構え、花き生産者と小売店をつなぐ役割を担っています。ですから、主なお客様は市場で仕入れをする買参人(売買参加者)や花き園芸事業者ということになります。仲卸業者ですから、お花屋さんでお花を買っていただくエンドユーザー様とは直接の接点がありません。むしろ、私たちが小売店を飛び越えて直接エンドユーザー様に販売するのは、仲卸業者として望むものではありません。

――又右衛門さんが仕入れたお花は、市場で業者に買ってもらわないと、私たちエンドユーザーには届かない、ということですね?

そういうことです。せっかく国内外から素晴らしい植物を仕入れてきても、売れれば消費者の皆さんに見ていただけますが、購入まで至らなかったら誰にも見てもらえないということになります。これは、植物にとっても悲しいことです。植物の素晴らしさを伝えていくためには、環境問題へのアプローチも含めて、自分が直接関わっていかなければならないと思いました。収益活動など会社の経営は金岡信康として取り組む。一方、植物活動家としていろんな植物の素晴らしさを伝えていく社会活動をする時には、四代目金岡又右衛門と名乗るようにしているのです。

JF兵庫県生花(大阪植物取引所)内の仲卸ローズガーデン

――四代目、ということは?

私たちの会社がかつて発行していた、昭和初期の「バラエン植物目録」の中に、「園芸文化の水準」の話が書かれています。私の祖父、つまり創業からの二代目・金岡喜蔵がその中に残した言葉に、「ようやく日本の花き園芸界が世界の水準に到達した矢先、戦争が起こってしまった。その戦争によってその水準を低下させてはならず、益々優秀品の生産に、新種の作出に無報酬の努力をすることが我々に課せられた光栄ある職域奉公と信ずる。」ということが書かれていて、当時こんなことを発信していたのかと私はあらためて気づかされたのです。それならば、創業当時の原点に立ち返ろうではないかということで、初代(創業者)の金岡又右衛門という名前を私が継承して、植物活動家としての新たな領域を開拓していこうと決断したのです。

――その決断の裏には、経営者として何かきっかけがあったのですか?

私の父である先代(三代目)の頃、私が小学校の高学年あたりから、先代が始めた新しい事業により多くの方々に喜びを与えられながらも、経営が非常に厳しくなっていった時期がありました。学校が休みの日になると、私も手伝いをしなければならないような状況でした。私は高校を出たら大学へ進学したかったのですが、母親から家業を手伝ってほしいと言われて進学を断念しました。そして、薔薇園植物場に入社し、主に仕入れ担当の仕事に就きました。

――どのくらい厳しい経営状況だったのでしょうか

その頃は、銀行はじめ通常の金融機関からの融資は受けられなくなっており、いわゆる街金からの融資すら厳しい状況でした。資金繰りに苦しみ、従業員から借りてやっと商売をしなければならないぐらい切迫していた時期もありました。また、従業員たちは、頑固一徹の社長である父に直接言えない不平や不満を、息子である私に浴びせることも多くありました。そのような父とは、意見がぶつかり合うことは日常茶飯事であり、私はとにかくこのような現状から脱出しなければならないと思いました。まずは利益を上げるために、「もっと花を安く仕入れたい、もっと数多く売りたい。」を優先させ、「ライバルに負けたくない、もっと大きな会社にしたい、もっと権力のある会社にしたい。」という気持ちにとらわれていたように思います。ただ今思うと、私自身にとっては大きな学びとなった時期ではありましたが。

――当時の花き園芸業界をめぐる社会情勢はどんな感じだったのでしょうか?

私が入社した頃と今とで大きく違うのは、当時は量販店としてのホームセンターのような大型店舗での植物販売形態が無かったことですね。個人のお花屋さん以外では、少数のスーパーでかろうじて花を売っていたという感じでした。その頃は、植木市とか移動店舗のような形で、一週間程度の短い期間限定の出店をスーパーの店頭などで開催していました。なんとなく記憶にありませんか?

――私の子どもの頃は確かにそんな感じでした

ありがたいことに、スーパーや量販店からの引き合いが非常に多くなっていきました。ただ、短期的なビジネスで継続性がないので、ロスや無駄がとても多かった。実は出店機会が増えれば増えるほど、赤字になってしまうという悪循環の状況でした。そのような状況にも関わらず、父は頼まれるとノーと言えずにどんどん仕事を引き受けていたようです。そこから会社の大きな転換期となる出来事が起きました。

又右衛門さんのトレードマークのハットとスカーフ

取引先から「お前のところには頼まない」と言われた

――何があったのですか?

メインでお取引いただいていたスーパーから呼び出されて、「花はこれから自社で販売することになりました。そのため今後は御社に依頼することはなくなります。」と突然宣告されてしまったのです。ショックでした。利益が出ない中、私財を切り崩して寝る間も惜しんで、何とか取引を続けてもらうために売り上げを作ろうと必死でやり続けてきたのに。「はい、わかりました」と簡単に引き下がることはできず、父に代わって私から実際の厳しい経営状況を伝えて、なんとか継続してくれないかと懇願しました。その時の部長さんが「わかった。ではちゃんとやってくれるならおたくを納品業者として認めましょう」と言ってくださったのです。本当にありがたかった。

――よかったですね!

そこから、いまのバラエングループのコンセプトの原型となる仕事が始まりました。納品業者として認めてくださったので、ここからどうするかが勝負です。他の業者と同じ商品だけを扱っていたのでは、継続的な取引は難しいだろうということにすぐに気づきました。自分たちで直接産地や生産者を訪ねて、様々な種類の価値のある植物を見つけたり、新しい商品を生み出さなければ差別化はできない。これからの時代は、市場流通ルートだけに頼るのではなく、自分の足で探して歩く。その時からです、私がいろんな生産者のところに出向くようになったのは。

――全国各地の生産者を訪問して、どうするのですか?

ただ、生産者のところに行って「うちに出荷してもらえませんか」「うちが買いますから一緒に植物を作ってくれませんか」とお願いしたところで、そう簡単に取引を始められるはずがありません。ましてやバラエン用に新たに植物を作ってもらえるはずもない。どうしたかというと、「わかりました。作ってくださった分、全量を責任もって私が買い取ります。もし皆さんがうまく生産ができなかったり、私たちが売ることができなくても、お金は全額支払いますから」と、自分もリスクを取ってやっていこうと宣言して回ったのです。

化学肥料、化学農薬まみれの植物に悩む生産者の声

――仕入れに勝負をかけたのですね

従業員たちから借りてかき集めた、なけなしのお金を握りしめて、生産者さんに向かうこともありました。その際に、多くの生産者さんから「お前がバラエンの跡取り息子か」と言われることもありました。「家業ですから、私が引き継ぐためにやらせてもらっています」と答えると、生産者さんは「私たちの子どもはやりたいなんて言わないし、私たちも継がせたいと思わないんだよ」と言うわけですよ。不思議だと思って聞いてみると、不安定な収入に加えて、化学農薬による被害が大きな要因であることがわかりました。

――野菜の農薬問題はわかりますが、植物も影響があるのですか?

植物は野菜のように残留農薬に対する規制がないため、環境や人体に影響があるかもしれない化学農薬を多用して生産を行うことが多く、植物自体に残留し悪影響を与えることへの罪悪感、さらに生産者自身の人体への影響などの心配も多くあり、葛藤しながら生産を続けてこられていました。花は観賞用が主で野菜のように食べることはありませんが、高齢者や小さなお子さんは誤って口に入れてしまうこともあるかもしれません。ペットも同様です。その時に思いました。私たちの業界は、川上である花や植物を生産してくれる人がいなくなったら、流通の私たちもいられなくなってしまう。これは早急にどうにかしなくては!と。生産、流通、販売の一連の過程で一番苦労しているのはやはり生産者さんなんですよ。まず彼らを守らなければ、業界全体の仕事のフローが成り立たない。彼らを守るためには、農薬の問題で困っていることを解決しなければならないと気づいて、グループ会社の中に、「アースフィール」という環境に配慮した技術や製品を研究・開発、製造をする会社を、大学や研究機関の力を借りて創業しました。

――そこに使命感を感じて始めたわけですね

長い年月をかけ、天候に左右されながらの生産で一番苦労をしている人が、その対価を得てしかるべきだし、脚光を浴びなきゃならないはずだと思いました。なので、私は産地や生産者の名前を前面に出した売り場作りにも取り組んできました。

仲卸ローズガーデンの中では、海外から輸入された貴重な植物に出会える

自分の利益「利己」より、「利他」を優先させる

――生産者ファーストという考え方は、バラエンにとっては利他の心ですね。自分の利益はさておき、まずは他の人の利益を優先させる。そこに経営者としての葛藤はなかったのですか?

最終的にそれが信頼関係に繋がることのほうが大事だと思っていました。実際、彼らは私たちにそれを返してくれたのです。例えば、大手量販店さんなどは、直接生産者さんから購入するほうが安く仕入れできるのですが、多くの生産者さんは「バラエンが育ててくれたから」といって量販店さんには売らず、逆に私たちを守ってくれたこともありました。生産者を守るという強い信念をもっていることが、巡り巡って自社の利益となる。今のバラエンの理念の礎になったといっても過言ではありません。

――それから仲卸業者として市場に出店することになりますね

ただ、生産者がどんなに大切に植物を育てても、市場の競りの場面では一瞬で取引されてしまいます。機械化・デジタル化された今の競りとは違い、当時の競り市場ではやはり生産者は弱い立場だったと思います。少しでも高く買ってほしい生産者と、少しでも安く有利に仕入れたい買参人からの要望をどのように調整するかは、市場競り人に依存することが多く、様々な複雑なやり取りによって左右されてしまうこともありました。競りは「ひな壇」と言われる映画館のような上段下段がある座席に腰掛けながら各人が入札します。比較的小さな花屋さんなどは下段で参加し、仲卸や大御所は最上段から全員を見下ろすように入札に参加します。そして、基本的に高い金額を提示した人が競り落とせるルールですが、ひな壇の最上段で入札している人たちが合図をすると、最下段にいて座る椅子もなく立ったまま競り落とそうとする私なんかは、どんなに高い金額を提示しても一向に競り落とせないわけです。その悔しさに振り返りひな壇の最上段にいる大御所たちを見上げると、私の悔しい表情が面白く滑稽に思えたのか、ニヤニヤと笑っていました。本当に理不尽な世界だと思いました。数十年たった今でもその時の彼らの私を見つめた表情はくっきりと私の脳裏に刻まれています。そしてその時には、私も実績を積みひな壇を一段一段上がっていき、仲卸や大御所に並ぶことができるぐらいの取扱量をあげなければ、当時の市場取引において意見力は無いと考えました。だから、私たちは仲卸業者になったんです。この業界の未来を守るためには、ただ単に植物を仕入れて売るだけではダメで、生産者を守り、流通を改革する必要があると強く思ったわけです。

仲卸ローズガーデンには生花や植物がずらり

――従業員の方々も同じ志を持って働いているのでしょうか?

今のバラエンのメンバーは、実は同業者で苦労してきた人たちが多いんです。満足できる働き場所が見つからなかったり、厳しい環境で働いたりしてきた人ばかり。ライバル会社にいた人もいます。みんな一度リストラや倒産などでとても悔しい思いを経験しているからこそ、仕事に対して真剣で、何があっても最後までやり抜く覚悟を持っています。ただし、私と一緒に働くにあたり条件をつけさせてもらったのが、「今までいた会社の顧客に声をかけることは一切禁止」ということ。私たちバラエンのお客さんか、新たなお客さんを求めていってくださいというのを条件にして門戸を開いたところ、植物の目利きや経験値が日本でもトップクラスの方々が集まり、私の考えやバラエンの方向性に共感し「ついて行くよ!」と言ってきてくれました。それが今のバラエンの成長に繋がる人材の強さ、まさに会社の宝となりました。

――その志の背景には金岡さんご自身の経験も影響しているのではないですか?

そうですね。特に忘れられないのが父の言葉です。今まで私と意見が食い違い会話も少なかった父が「俺はお前を育てた覚えはない。お前を育ててくれたのは社会だ。だから親には一切何もしなくてもいいから、その恩は社会に返しなさい」と言ったんです。もちろん会社を存在させるのも社会のためでもあったし、従業員の雇用を守ることも社会のため。だからそういうことをやっていこうと。

――経営理念にもつながる教えじゃないですか

ある時、偶然手に取った「戦わない経営」という本との出会いが私にとって大きな転機になりました。濱口隆則さんという方が書かれた本ですが、字が大きかったのと厚さも薄く、今まで教科書すら満足に読んだこともない、ましてやビジネス書など読んだことがない私が何とか読むことができた本でした。まだまだ人として足らないことが多い私が戦うと考えたら、競合会社がつぶれたらいいよねとか、失敗したらいいなどと思ってしまう。今まで多くの苦労や様々な経験を積んできた私は、他人の足を引っ張ってやろうと思ったら、その術が簡単に思いついてしまうんですよ。もちろんそんな人間になりたくないし、もしそんなことをしても、相手も自分も絶対に幸せにはならないとあらためて思いました。だから絶対戦ったらだめなんです。日本で一番高い山は何ですかと聞かれたら、誰だって富士山と答えられますよね。では二番目に高い山は?と聞かれたら答えられますか? 答えられない人が多くいます。1番と2番の差は2番と100番ぐらいかもっとそれ以上に違いがあるのではと思います。そのため、どの分野でも一番にならなければいけないというだけのこと。1番になろうと思ったら「他の人にはできないことをする」、それが答えということなんです。だから私は「他の人ができないことをやっていく会社」を作った。生産もやる、卸しもやる、海外から珍しい植物も輸入する、日本の文化を海外に送り出す、環境問題もやる、教育もやる、何でも必要とされることをする。それが自分のありたい姿であって、他者にはできないことをやれば、絶対に争わなくていいという考えになりました。

――それが、戦わない経営の本質なのですね

これはあまり公言していないのですが、多くの舞台で活動をさせていただく中では、様々な方から支援の言葉もいただきましたが、中にはその活動に理解をしていただけない方も出てきて、頭を抱えるほど悩み苦しんだこともありました。そして、植物活動家・四代目金岡又右衛門として何を目指すべきかと考えた時に、国や大きな権力などの上を見て活動することはやめようということでした。「植物自身から必要とされる人、企業を目指そう」と思っています。植物が「又右衛門に売って欲しい、又右衛門に預かって欲しい」と思えるような会社、人になりたいとずっと思っているんです。

――なぜそんな気持ちが出てくるのですか

めちゃめちゃ弱い面を持っているからだと思います。人は相手によって態度が変わりますよね。私もいろんな裏切りも受けてきましたが、植物にはそれはないって思えるんです。当たり前ですが私たち人類を産み育ててくれたのが植物であり、さらに私たちは植物を生業にして生活をしていてどの業種よりも多くの恩恵を受けています。植物の命は本当に尊いと思っています。そんな植物愛みたいな気持ちなんですね。

大きな植物から小さな生花・鉢物まで、日々商品が入れ替わっていくという

世界から学ぶ、植物から学ぶ、従業員から学ぶ

――「アースフィール」を立ち上げるに至った経緯についてもう少し聞かせてください

化学農薬や化学肥料の影響で、花や植物を育てる生産者たちが苦しんでいる現状を目の当たりにして、何かしなければと思った話を先ほどしましたね。「健康な植物(みどり)の力で社会問題を解決する」「健康な植物(みどり)の力で地球をリ・デザインする」「健康な植物(みどり)の力で"しあわせ"を創り出す」という経営理念は、この強い危機感から生まれたものです。どうしたら環境を守りつつ、持続可能なビジネスができるのか。それを実現するために、アースフィールを立ち上げて、研究開発を進めることになりました。微生物農法研究会会長の永座康全先生を通じ、光合成細菌などの研究で世界に名を馳せる京都大学の小林達治先生の指導のもと起ち上げた会社で、アースフィールつまり「地球を感じて、地球に触れて」という意味で名付けました。現在では、自然生態系調和型資材シリーズという商品も販売していますが、十数年間ほとんど鳴かず飛ばずで、売り上げはほぼゼロに近かったです。直接口に入れる「食べ物」の安全性には皆さん強く関心があったのですが、植物にはほとんど関心がなかった。今でも行政はじめ社会全体の関心も薄いと思っています。そのため、環境配慮に関してはまだ欧米の基準には追い付いていないのが現状で、解決すべき課題は山積みのため、引き続き私たちは「植物をまもる。」「生産をまもる。」「地球をまもる。」をモットーに活動をしていきたいと考えています。

――海外のナーセリー(農園)とのお付き合いも幅広いですね

海外の有力ナーセリー数社の日本における販売総代理店をさせてもらっています。彼らとビジネスをしていておもしろいのは、契約関係とパートナー関係の違いです。中には書面で契約を結んでないところも結構あります。でもこう言われるんです。「あなた方以外とはパートナーにはならないから安心して」と。書面で交わすのはあくまでも売買契約の約束だけで、彼らが言うパートナー関係とは、心も通じ合っていて一緒の方向に向かって歩んでいくという関係だから、もっともっと上位概念のつながりなのだそうです。

――驚きました。そういう関係ってどうやって築くのですか

多分なんですけど、みんな植物の方を向いてるんですよ。人間同士だけで向き合うようにして関係を築いているんじゃないんです。植物が最初にあって、そこに向かっていく同志なんですよ、みんな。だから手を握ることができるんだと思います。

――そこまでの間柄を構築するのには苦労もありますよね?

戦略とか戦術などというのとは真逆で、実直に誠実に自分の思いを伝えてきただけです。もっと正直に言えば、自分もリスクをかぶって不退転の覚悟で望むという姿勢を示しているだけです。だって大切な友人たちが育ててきた大事なものを預かるのですから、当然です。向こう側の都合で取引がなくなってしまった海外のパートナーであっても、私はできるだけ会いに行っています。会社の経営だけ考えて利益活動優先だったら、売ってくれない生産者のところに行っても仕方ないでしょうという考えになるかしれません。でも違うんです。パートナーとして繋がったはじめの理由が売買の契約関係だけじゃないんだ、という基本的な感覚に基づいている気はします。

――金岡さんが困ったときに相談する人とか、社長の右腕みたいな人はいらっしゃるんですか?

困った内容によりますね(笑)。資金繰りが大変だからと昔みたいに社員に相談したら、社員は困るでしょうね(笑)。真面目な話、社長の私にとっての右腕は、一緒に歩んでくれている従業員やパートナー全員だと思っています。

――素晴らしい!

私は、苦しい時には植物にも相談するのですが、人にはなかなか相談できないものですよね。そんな時は、迷わずに神頼みです。

――植物に相談するってどういうことですか?

植物の前で植物と時間を過ごしていたら、何らかの糸口が必ず見つかります。だから今の私があるんだと思っています。ちょっと不安だと感じた取引に関しては、やっぱり無くなっていきます。これはもう理屈じゃなくて、ご先祖様に導かれているのかもしれませんが。でも、相談するというのは結局、自分の思いに実直に裏切らずにやるということで全部片付いてしまうのかなという気はしますよね。

オリーブの樹と対話する金岡さん

――バラエンは「世界の感動を日本に。日本の感性を世界へ。」をモットーにしていますが、これはどういう思いを込めたのですか?

海外をずっと回ってきて、様々な植物、文化、人に出会って、行くたびに感動がいっぱいになって帰ってきます。その感動と一緒に、海外で出会った植物とその思いを伝えたいというのが、「世界の感動を日本に。」というような表現の形になりました。逆に、日本にも庭園や生け花などの素晴らしい文化や感性がたくさんあります。だったら「日本の感性を世界へ。」伝えていこうというような取り組みもあるべきで、一方通行ではなく相互関係を築くことで国際交流に繋がればと思っています。それに、伝承と伝統の違いって考えたことありますか? 昔の素晴らしいものを伝えていく。これは日本でも結構出来ていて、すなわち「伝承」だと思うんですよ。もう一つ、日本はそれに加えてその時代に合わせ変化をさせる力を持っている。これが私は「伝統」になると思っているんです。変化が伝統になっていく。伝承は繋げていくということ。それに新しいものが加わっていくと伝統になる。伝統は変化すべきだというのが私の中にあるので、伝承と伝統とを分けて物事を考えているというところがあります。ちなみに、うちの主要会社名は薔薇園植物場ですが、みなさんに「君のところの薔薇を見せてほしい」とよく聞かれます。普通そう思いますよね。しかし現在では薔薇は作っていないんです。本来は会社名も伝承ではなく、時代や事業によって変化させていかなければならないかもしれませんね(笑)。

――ええ!! 薔薇作ってないんですか?

今は作っていないんですよ。祖父が岐阜と山梨に薔薇の生産拠点を移したんですよ。現在、特に岐阜が薔薇の産地として有名になっているのは、そういう理由です。本家の宝塚、豊中には薔薇は残っていないんですよね。私が幼いころ薔薇を育てていた祖父は、数カ月かに一度、ふらっと本家に戻ってくることがあって。「薔薇、持ってきたよ」と祖母に届けに来るんです。祖母の顔を見たら、またス~っと岐阜に帰っていく。今思えば少し複雑なものも感じますが、結局、岐阜で薔薇の生産・普及にかなり貢献して、弟子の中には有名な薔薇の活動家になっている人もいるんですよ。

――バラエンの謎がまた深まりました(笑)。今日は貴重なお話をありがとうございました

金岡さん、ありがとうございました!

バラエングループ代表
有限会社薔薇園植物場 代表取締役社長
四代目金岡又右衛門
金岡信康さん
植物活動家・ボタニカルプロデューサー
四代目 金岡又右衛門

バラエングループ公式サイト

バラエングループ公式Instagram
https://www.instagram.com/baraen_group

四代目 金岡又右衛門公式サイト
http://mataemon.jp
四代目 金岡又右衛門Instagram
https://www.instagram.com/mataemon_official


有限会社薔薇園植物場
本社:兵庫県宝塚市山本中2-15-8
大阪営業所:大阪府豊中市利倉1-5-23
仲卸ローズガーデン生花部・植物部:大阪府豊中市原田南1-15-1 梅田生花市場・大阪植物取引所内

【取材後記】
バラエングループは2023年度の豊中市チャレンジ事業補助金に採択され、「健康なみどりによる地球リ・デザインプロジェクト」として、環境に配慮したエシカル植物及び輸入植物の促進、植物育成ポット「AIR-POT(エアーポット)」の普及、自然生態系調和型資材(指定混合肥料、植物活性資材、土壌改良剤等)の拡充に取り組んでいます。「植物の力で地球をリ・デザインする」という壮大なビジョンのもと、豊中市を拠点に世界中で活動する金岡さん。彼の生き方は、地域を超えた大きなインスピレーションを与えてくれると同時に、私たち一人ひとりが植物や環境について考え行動するきっかけをもたらしてくれるのではないでしょうか。

又右衛門さんのお話を伺いながら、植物が単なる観賞用のものではなく、私たち人間の生活や社会に深く根ざした存在であることを改めて感じました。植物を「商品」として提供するだけでなく、その背景にある文化や人々の暮らし、生産者の情熱や苦労までを大切にしている又右衛門さんの姿勢には、深い感銘を受けました。

そして何より、企業経営者が最も考慮すべき「利己」と「利他」の両輪のバランスを、「植物の力でしあわせを創り出す」というブレない目標を定めながら二種類の名前を使い分けることで成立させていること。収益活動と社会貢献活動を両立させるのは、なかなか容易ではありません。同じ企業経営者として、本当に尊敬しますし、学びになりました。

次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきます。

【取材・文】たねとしお/明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。関西支社勤務時代には曽根に在住。リクルート卒業後は「男の隠れ家」出版局長を経て、現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。ゆめのたね放送局オレンジチャンネル日曜朝7時30分~「社会人大学院へ行こう」番組パーソナリティとしても活躍中。


この記事が参加している募集