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全身で音楽を楽しむ笑顔のヴァイオリニスト

豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。連載第4回は、豊中から世界の頂点に立ったヴァイオリニスト前田妃奈さん(22歳)です。

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奏でる一音一音に”生命力と喜びが宿る” 前田妃奈さん


豊中市から世界へ羽ばたく若きヴァイオリニスト、前田妃奈さん。前田さんは4歳でヴァイオリンを始め、その才能を開花させていきました。市立豊島西小学校、市立第一中学校を経て、高校から上京。東京音楽大学付属高等学校を卒業し、現在は東京音楽大学アーティストディプロマコースに在学中です。
2013年第67回全日本学生音楽コンクール全国大会小学校の部第1位を皮切りに、国内外の数々のコンクールで輝かしい成績を収め、早くから注目を集めてきた前田さん。圧巻だったのは2022年11月、第16回ヘンリク・ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリンコンクール(ポーランド)での優勝、日本人としては実に41年ぶりの快挙です。コンクール覇者として2022年から1年以上にわたって世界20カ国60地域での凱旋コンサートを実施。さらに東京・大阪でのリサイタル、オーケストラとの共演など、精力的に活動しています。

今回は豊中市をホームとする日本センチュリー交響楽団の第284回定期演奏会(2024年9月21日)にソリストとして初デビューする前日、リハーサルの合間にインタビューに答えてくださった前田さん。ヴァイオリンとの出会いから世界を巡った凱旋公演まで、そしてその背景にある音楽への思いに迫ります。

日本センチュリー交響楽団第284回定期演奏会より ⓒ日本センチュリー交響楽団

きっかけはテレビ番組

――ヴァイオリンを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

NHK教育テレビの「ゆうがたクインテット」という、作曲家の宮川彬良さんがやっていた音楽番組が大好きで。パペット人形がヴァイオリンを弾いている姿を見て、「人形が弾けるなら、私にも弾ける!」と親にお願いしてヴァイオリンを始めることになりました。

私が4歳でヴァイオリンを始めることになった2007年というのは、師匠の神尾真由子先生がチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で1位になった年なのです。神尾先生がテレビに出ているのを見て、「この人より私のほうが上手い~」と言っていたそうです。今思えば、本当に無邪気だったんですね(笑)。

――音楽に集中していた子ども時代だったのですか?

決して音楽漬けの日々ではなかったと思います。よく駄菓子屋さんに行っていた思い出があります。私があまりにもヴァイオリンの練習をしないと、母から「練習しないなら出て行きなさい」と叱られることがあったのですが、実はそれがうれしくて。「やった!練習しなくていいんだ~」みたいな感じで家を出て、友達と公園に遊びに行くこともありました。駄菓子屋に行って、よく「ブタメン」を食べていましたね。

――豊中時代の学校生活はいかがでしたか?

小学校の頃は、かなり活発な子どもだったと思います。リーダーをやりたがるタイプでしたからクラス委員にも就きました。でも、中学に入ってからは状況が一変。学校に行かなくなってしまった時期もあったのです。不登校でした。

――中学時代は音楽が支えてくれたのですか?

当時は音楽が自分を支えてくれているとは全然思っていませんでした。練習も好きじゃなかったし。でも、今振り返ると、音楽が無意識のうちに私を支えてくれていたのかもしれませんし、この経験があったからこそ、今の私は音楽を心から楽しめているのかもしれません。困難な時期を経て、改めて音楽の素晴らしさに気づくことができたんです。だから、不登校だった時期も、私の音楽人生にとっては大切な時間だったと思います。

音楽への情熱は消えることなく、むしろ強くなっていったのは、8歳の時から参加させていただいていた佐渡裕さんが率いるスーパーキッズオーケストラでの経験がとても大きかったと思います。

「豊中かがやき大賞」を受賞して、演奏を披露する小学校5年生の前田さん

影響を受けた音楽家との出会い

――スーパーキッズオーケストラではどんなことを学んだのですか?

高校生もいる中で、中学生だった私が2017年度のコンサートミストレス(コンサートマスター)を任されたんです。自分だけが音楽を一番楽しんでいればいいというのではなく、その自分の思いを団員全員に伝播させていく役割を担っているんだということを学びました。コンサートマスターのテンションでオーケストラの演奏が本当に変わるんですよ。

それに、佐渡さんからは「感謝」の気持ちを持つことの大切さを教えていただきました。「努力や才能は全部足し算だけれど、感謝は掛け算になる」という教えです。この言葉は今でも心に刻まれています。そして、音楽の喜びを全身で表現し、聴衆と共有すること。それが私の演奏スタイルの原点になっていると思います。

――佐渡さんとの出会いが大きかったのですね。では、ヴァイオリンの師匠である神尾真由子先生との出会いについて教えていただけますか?

はい、神尾先生との出会いも私の音楽人生の大きなターニングポイントになりました。4歳の頃から一方的に知っていましたが(笑)、中学3年生の時に初めてお会いして、高校1年生の秋から本格的に師事することになったんです。でも、そこに至るまでには重要な出来事がありました。高校1年生の時に、ある日本のコンクールに出場し、3次で落ちてしまって本選に行けなかったのです。その時に「このままじゃダメだ」と強く思いました。そして、神尾先生に「定期的に教えてください」と自分から懇願したんです。これは本当に大きな転機になりました。

――神尾先生から学んだことは何でしょうか?

神尾先生は今も第一線で活躍していらっしゃる方なので、本当に多くのことを学びました。特に、練習と演奏効果の連動についてたくさん教えてもらいました。例えば、「こう弾きたいなら、テクニックではこうするべきだ」というような、具体的なアドバイスをたくさんいただきました。私の弾きたいことは全く否定されず、それをどう実現するかを教えてくれたんです。「こう弾きたいんでしょ?じゃあ弓はこうしなきゃいけない」とか「ビブラートをこうしなきゃいけない」とか。「今そう弾きたいんだけど、あなたにはこれが足りないからこうやって練習した方がいい」とか。そういう具体的なことを教えてくださって、それが私にとってはすごく大きかったのです。

今、私が喜びや楽しみを具体的に音楽で人に伝えられているとしたら、それは神尾先生から学んだことが大きいと思います。先生との出会いがなければ、今の私はなかったかもしれません。本当に感謝しています。もちろん、小栗まち絵先生や原田幸一郎先生、さらには豊中時代に師事していた先生など、皆さんに大切なことをたくさん教えていただきました。

指揮者の佐渡裕さんとヴァイオリニストの神尾真由子さんとの出会いがターニングポイントに

国際コンクールで優勝をつかむ

――2022年11月、第16回ヘンリク・ヴィエニアフスキ国際コンクールで優勝されました。日本人として41年ぶりの快挙ですね。当時の心境をお聞かせください。

正直、優勝するとは全く思っていませんでした。ただただヴィエニアフスキのコンチェルトを弾きたかったというだけのつもりで参加していたんです。だから賞を取ろうという意識は全くなくて。名前を呼ばれた時は本当にびっくりしました。3位の方、そして2位の方が呼ばれた後、残ったメンバーを見まわしても「絶対私じゃない!」って思って座っていたんです。でも1位で呼ばれてしまって……。本当に驚きました。

――ファイナルでの演奏はいかがでしたか?

実は、今でも自分が1位だったことが信じられないのです(笑)。ファイナルの演奏は、思い通りに弾けていない箇所が多くて、国際コンクールのファイナルで弾いた優勝者の演奏としては決して完璧な内容ではないと思っています。でも、3週間弱にわたってコンクールをやってきて、3日間のファイナル審査で私の演奏は最終日の3日目。疲労と緊張で2日間も眠れなくて、本当に極限状態のハイな感じで臨んだ演奏だったのです。弾いている時も足はガクガクで今にも倒れそうだったのですが、不思議なことに天国が見えたような気がしたんです。確かに何かが見えた。ファイナルの演奏って、みんな本当に喜びと開放感にあふれていて素晴らしいんですよ。あの極限状態の中で、私は個性がはじけたのかなという気がしています。まさにビッグバンのような感じです。

――コンクール優勝後、世界凱旋ツアーに出られました。

はい、1年2カ月にわたって20カ国・60地域でのご褒美ツアーをさせていただきました。これ全部一人で回ったんですよ。南米やエジプトなど、普通に暮らしていたら行けるかどうかもわからないような国にまでヴァイオリンを弾きに行くことになるなんて、想像もしていませんでした。国によって文化が違うし、言葉も通じない。リハーサルの時間や演奏会の雰囲気も様々でした。朝7時からリハーサルする国もあれば、夜中にする国もあって。お客さんの反応も本当に様々でしたね。南米では、まだ弾き始めてもいないのに「ブラボー!」って声がかかったりして(笑)。

でも、どの国でも音楽を通じて人々とつながれることの素晴らしさを感じました。言葉が通じなくても、音楽があれば心が通じ合える。そんな音楽の力を改めて実感しました。

――一人で回って不安はなかったのでしょうか?

実は、あまり不安は感じませんでしたね。「同じ地球だし」って思ってました(笑)。宇宙じゃないんだし、大丈夫かなって。空気と水があればなんとかなるだろうと思ってました。

――その行動力の源はどこにあるのですか?

私は「勘」と「直感」で生きているんです。だから、悩むことをあまりしません。悩んでも事態は変わらないと思っているからです。例えば「この曲は弾けないかも」とか「やばい、このままだと間に合わないかも」と悩む時間そのものが無駄だと思ってしまうんです。だから「あ、これ無駄だな」と思ったら、すぐに練習するなり、スコアを勉強するなり、あるいは寝ます。悩んでいるより寝たほうが体にいいじゃないですか(笑)。私の人生には「悩む」という時間はありません。

――それは生まれつきの性格なのでしょうか?

いえ。実は、元々私はかなり悩むタイプだったんです。むしろネガティブ思考の人間だったと思います。でも今は、「陰が強いからこそ、日向が明るい」と思うようになりました。だからネガティブなことをあまり人に言わないようにしています。

例えば「今これで困っている」とか「これができない」とか、そういうことを人に言わない。その言わない分、自分の中に溜まっていったものを音楽で爆発させるという感じなのかなと自己分析しています。この考え方や行動パターンが、世界ツアーでも生きていたのかもしれません。新しい場所や状況に直面しても、悩むより行動する。それが私の生き様になっているんです。

「勘と直感で生きています」(笑)

音楽に対する一途な姿勢「好き」

――前田さんの演奏は「一音一音、一曲一曲に生命と喜びが宿る」ように感じます。このような演奏スタイルはどのように形成されたのでしょうか?

ありがとうございます。私の演奏スタイルは、本当に音楽が好きだということに尽きると思います。一音一音に対する愛情や思い入れが、そのまま演奏に現れているのではないでしょうか。

私は自分がヴァイオリニストと呼ばれるのに違和感があるんです。別に嫌というわけではないんですが、そんな風に呼ばれていいのかなと思っている。私はただただ音楽が好きで、それを表現しているだけなんです。だから、ヴァイオリンじゃなくても、ピアノでも歌でも何でもよくて、ただその音楽が好きだから演奏しているんです。

例えば、明日の本番で日本センチュリー交響楽団と演奏するブルッフのスコットランド幻想曲を弾く時も、「こんな素晴らしい曲をオーケストラと一緒に弾けるなんて最高!」という気持ちで臨んでいます。好きが高じてやっているだけ、という感じですね。

――前田さんはどのようにして音楽を構築されているのでしょうか?

そうですね、私の場合は「好き」が先に来て、そこから構成していくという感じです。例えば、この音が好き、この和声が好き、このフレーズがめちゃくちゃ好き、というところから始まって、じゃあどう作っていったら、ここが自分の思う何倍もよく聴かせられるだろうか、というように考えていきます。

これは音楽家の変態チックな神髄だと思うんですが(笑)、「この音がこう来てこうなるからこれが良くて」みたいなことを必死で考え続けるんです。一音一音に対する愛情や思い入れが、そのままドラマになっていくような感じですね。

――オーケストラとの共演の際、ソロパートが来る前にはオーケストラの方を向いて楽しそうにされていることも多いですよね。

ええ、そうですか?(笑)でも、こっち(客席)をずっと向いていてもしょうがないですからね。だって、オーケストラの人たちが演奏しているんだから、彼らのほうを向くのが自然だと思うんです。もちろん曲によっても違いますけどね。

結局のところ、私は人が好きなんです。だから無伴奏よりも、オーケストラと弾くとか、誰かと一緒に演奏するのが好きなんです。いろんな人と話して、一緒に音楽を作り上げていく。そこでいろいろな刺激を受けるのが面白いと感じています。音楽を通じて人とつながることが、私にとっては大きな喜びなんです。

日本センチュリー交響楽団第284回定期演奏会で初めて共演 ⓒ日本センチュリー交響楽団

長い休養が教えてくれた「本当に好き」

――コンクール優勝後の世界ツアーを経て、一時期休養を取られたそうですね。

世界ツアーの全日程を終えてホッとした途端に、体調を崩してしまったのです。ずっと忙しかったせいでオーバーヒートしてしまったのかもしれません。今年の2月頃から5月頃まで思い切って休むことにしたんです。初めてヴァイオリンを弾かない時期を過ごしました。

――休養中はどのように過ごされましたか?

本当に何もしていませんでした。でも、その時間が大切だったと思います。去年いろんな国に行って見た景色とか、いろんな演奏者と共演して感じたこととか、そういうことがゆっくりと勝手に咀嚼されていったのだと思います。そして気がつきました。表現者として自分が一番元気な状態でいないと、表現することができないんだなと。アウトプットとインプットって両方が大事で、バランスが取れていないといけないんだなと実感しました。私はやっぱり音楽が好きで、ヴァイオリンを弾きたいんです。

――休養後、演奏や音楽に対する姿勢に変化はありましたか?

大きな変化がありました。復帰してからは、お客さんの反応も全然変わりましたし、私自身も変わった気がします。例えば、ステージに出てくるだけで涙が出たとおっしゃってくださるお客さんがいたり、私も本当に心から笑ってステージに出られるようになりました。「演奏はもちろん、あなたの笑顔を見ただけで幸せになりました」と、そんな風に言っていただけるようにもなりました。

やっとヴァイオリンを弾く人になったなという感じが私の中でもするし、お客さんも感じてくれるようになったと思います。休んだことによって私にもプラスになったし、お客さん側にもプラスになったのかなと思います。決して無駄な時間ではなかったのですね。私は本当に音楽が好きなんだと気づいたのは、実は今年の5月、6月くらいになってからなんですよ。

――音楽家として、日々心がけていることはありますか?

最近は自分を大切にすることを一番心がけています。音楽家として表面的に言えば、自分の体で弾くわけですから、手を大切にするとか荒れないようにするとか、そういうことはもちろんあります。でも、内面の表現者でもありますから、自分のことを大切にしないと良いものは生まれないんです。だから、「自分の奥底の声に従ってみる」ということを普段から心がけています。例えば、今これがしたいな、あれがしたいなと思った時に、普通なら「今は○○だからやめておこう」とか言い訳してしまうじゃないですか。でも私は、そういう気持ちを一旦取り払って、今やりたいこと、今してみたいことを全部優先するようにしています。直感を大切にして、自分の感覚を信じて生きることが、結果的に音楽にも良い影響を与えているんじゃないかな、と思っています。

「表現者として自分が一番元気な状態でいることが大事」

豊中・地元への思い

――豊中市出身の音楽家として、地元への思いをお聞かせください。

私は豊中のことが本当に大好きなんです。大阪音楽大学もあるし、豊中音楽コンクールもあるし、文化芸術センターもある。それに私の師匠であるヴァイオリンの小栗まち絵先生や神尾先生も含めて、指揮者の方とか豊中出身の音楽家が結構いらっしゃるんです。

だから音楽をしている身としては、すごく誇らしい街だと思っています。共演する方が豊中の人だった時は「誰々さんと一緒の出身地なんです」と言って自慢しているんですよ(笑)。憧れている人や有名な人が同じ豊中出身だと知ると、テンションが上がりますね。

2018年の第4回豊中音楽コンクールでは最優秀賞を受賞

――豊中での思い出や、豊中での経験が今の自分につながっていると感じることはありますか?

豊中があまりにも地元すぎて、何か特別なことを挙げるのは難しいのですが、今の自分につながっているのは間違いないと思います。豊中で生きてきたすべての積み重ねが今の自分を作っているんだと思います。駄菓子屋さんでの思い出とか、友達と遊んだ公園とか、そういった日常の中で育まれた感性や人間性が、今の音楽にも生きているんじゃないかな。

――後に続く子どもたちへ、豊中出身の世界的音楽家としてメッセージをお願いします。

自分の好きなことを大切にしてほしいということです。私は本当に音楽が好きで、それだけでここまでやってこられました。もちろん努力は必要ですが、好きだからこそ続けられるんです。そして、感謝の気持ちを忘れないでほしいです。家族や先生、友達、応援してくれる人たち。そういった人たちへの感謝の気持ちが、自分を成長させてくれると思います。豊中から世界へ羽ばたく人が、これからもどんどん出てくると信じています。皆さんの活躍を楽しみにしていますね。

――最後に、音楽と人生について前田さんの哲学をお聞かせください。

私にとって音楽は人生そのものです。音楽を通じて自分を表現し、人とつながり、世界を知る。そんな素晴らしい体験をさせてくれる音楽に、本当に感謝しています。大切なのは、常に好奇心を持ち続けることだと思います。新しいことに挑戦する勇気、失敗を恐れない心、そして何よりも音楽を心から楽しむこと。これらが私の音楽哲学の根幹にあります。そして、感謝の気持ちを忘れないこと。聴いてくださる方々、支えてくれる方々、そして音楽という素晴らしい芸術に対して。感謝の気持ちがあれば、どんな困難も乗り越えられると信じています。

これからも、一音一音に命を吹き込み、心を込めて演奏していきたいです。そうすることで、聴いてくださる方々の人生に、少しでも彩りを添えられたら、それ以上の幸せはありません。音楽を通じて、多くの人と喜びを分かち合い、心を通わせていく。それが私らしい生き方かなと、直感しています。

本番前日のリハーサル後にお話ししていただきました

ヴァイオリニスト 前田妃奈さん
所属事務所AMATI公式サイト
https://www.amati-tokyo.com/artist/violin/post_89.php

前田妃奈さんの演奏動画はこちら

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

ヴィエニアフスキ ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22

取材協力
日本センチュリー交響楽団
https://jcso.or.jp/

【取材後記】
ステージ上の前田さんは、笑顔いっぱいに全身で音楽を楽しんでいます。前田さんが奏でる演奏は、楽譜に記された音符たちが前田さんを通して喜びとともに会場にあふれ出ているように感じます。聴いている私たちは一瞬で心をつかまれてしまうのです。私はその理由を探りたいと思いました。
その圧倒的な才能の裏にある情熱と努力、そして音楽への純粋な愛情の賜物であると強く感じました。22歳という若さで世界の頂点に立ちながら、常に謙虚で、音楽と真摯に向き合う姿勢に深い感銘を受けました。特に印象的だったのは、前田さんの「好き」を大切にする姿勢です。音楽が好きだから演奏する、その一音一音が好きだから表現する。その純粋な思いが、聴く人の心を震わせる演奏につながっているのだと確信しました。

最後に、前田さんが語った「感謝の気持ちを忘れない」という言葉が心に残りました。世界的な成功を収めながらも、周囲への感謝の気持ちを忘れない。その姿勢こそが、前田さんの人間性の豊かさを物語っているように思います。

このインタビューを通じて、読者の皆さんも何かしらの「生きる力」を感じ取っていただけたのではないでしょうか。前田さんの生き方と音楽は、私たち一人一人の人生に、きっと新たな光を投げかけてくれるはずです。豊中から世界へ羽ばたいた前田さん。これからの更なる活躍と、音楽を通じて多くの人々に希望と勇気を与え続けていく姿を、私たちは心から応援しています。
 
次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきますね。なお、このインタビュー記事は豊中市の情報発信を共に推進する外部人材として、たねとしおが担当しています。
 
【取材・文】たねとしお/1966年岩手県生まれ。明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。関西支社勤務時代には曽根に在住。リクルート卒業後は「男の隠れ家」出版局長を経て、現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。歌とワインとクルマが大好き。