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写真でみる想い出の豊中~曽根編~

豊中の歴史を写真とともに振り返る「写真でみる想い出の豊中」
第3回目となる今回は、曽根地域からお届けします。

↓前回までの「写真でみる想い出の豊中」はコチラから



※以降、写真に写っている人のお顔には、ぼかし修正を加えています

曽根駅前(東側)

(昔)

1972年撮影


(今)

2024年11月撮影

阪急電鉄曽根駅の東側の様子を収めた写真です。
昔の写真は「工事中の曽根駅前」として記録が残っています。砂地の道路だった状態からきれいに整備され、すっかり様変わりしたことが確認できます。

(昔)

1972年撮影


(今)

2024年11月撮影

半世紀前と比べて最も変化が感じられるのは、駅が高架化されていることでしょう。阪急宝塚線は、曽根駅~豊中駅間の高架化事業により、1994年に上り線(大阪梅田駅方面行き)が、1997年に下り線(宝塚駅方面行き)がそれぞれ高架化されました。

(昔)

1972年撮影


(今)

2024年11月撮影

高架化に伴い、駅の東側は駅前広場や無電柱化の整備が進み、現在では市民の憩いのスペースとして親しまれています。



曽根駅前(西側)

(昔)

1981年撮影


(今)

2024年11月撮影

曽根駅西側、曽根商店街の様子を捉えた写真です。
当時は曽根駅が地上駅だったため、この場所に踏切がありました。路面に並ぶ看板と人の多さから当時の賑わいが感じられます。

(昔)

1981年撮影


(今)

2024年11月撮影

曽根駅西側から東方面を捉えた写真です。
現在は高架に遮られてしまい遠くまで見渡すことはできませんが、当時はこの場所からダイエーの看板が見えていたそうです。



曽根東町6交差点付近

(昔)

1972年撮影


(今)

2024年11月撮影

曽根駅から南へ400mほど歩いた先の曽根東町6交差点付近の写真です。
当時は線路の一部がガードになっており、その下を車が通過しています。現在の写真と見比べると、線路がどれだけ高くなったのかが分かります。

(昔)

1972年撮影


(今)

2024年11月撮影

昔の写真では、右奥に曽根のランドマークともいえるヴァイキングビルが見えます。当時はまだ特徴的な壁画は描かれていなかったようです。そんなヴァイキングビルも耐震性の問題から解体が決まっています。

(昔)

1973年撮影


(今)

2024年11月撮影

文化芸術センター方面から交差点方面へ続く道路の様子です。

ー地図ではこちらー



豊中市立市民会館

(昔)

1968年撮影


(今)

2024年11月撮影

1968年当時、竣工したばかりの市民会館を捉えた写真です。

当時の豊中市には学校・体育館以外に1,000人以上を収容できる施設がなく、市民会館の建設は長年の懸案でした。
市街地の中心部で交通の便がよいことなどから、芦田ヶ池を埋め立てたこの場所が建設地に選ばれました。文化都市豊中にふさわしいものをと、1,600人が収容可能な劇場方式の大ホールとして建設されました。

(昔)

1968年撮影


(今)

2024年11月撮影

昔の写真は、市民会館正面のテラスから撮られたものです。
開館以来、市の文化芸術の拠点として利用されてきた市民会館ですが、老朽化と耐震性の基準を下回ったことにより、2011年に休館となりました。

その後、現在の文化芸術センターに建て替わり2017年に開館しました(現在の写真右側の建物、左はアクア文化ホール)。



豊島公園プール(豊島公園)

(昔)

1967年撮影


(今)

2024年11月撮影

昔の写真は、建設中の豊島公園プールの様子です。

豊中まつりの会場としておなじみの豊島公園ですが、かつて、この公園には屋外プールがありました。写真は1967年の建設中の様子です。奥には、まだ高架になっていない宝塚線を走る電車も見えます。

1976年、賑わうプール
1976年、市民水泳大会

豊島公園プールには、50mレーンのプールと児童用プールが備えられ、毎年夏には大勢の人で賑わいました。1971年には、ひと夏で10万人近い人が訪れたと、当時の広報誌に記載されています。
このプールは、老朽化により2003年に閉鎖されましたが、更衣室(写真上)の建物に使われていた骨組みは、今でも花と緑の相談所として使われています。



萩の寺公園(延命橋)

(昔)

1974年撮影


(今)

2024年11月撮影

(昔)

1974年撮影


(今)

2024年11月撮影

東光院 萩の寺に隣接する萩の寺公園と公園を跨いで架かる延命橋がそれぞれ写されています。

かつてこの公園は蛇喰池(じゃはみいけ)と呼ばれる池で、萩の寺への参詣のために架けられていたのが延命橋でした。

1965年、埋め立てられた蛇喰池の様子

時間の流れとともに、木々は成長し公園の遊具は変わりましたが、昔も今も子どもたちが遊ぶ姿は同じです。

ー地図ではこちらー



長興寺南歩第1号線(くねくね道)

(昔)

1976年撮影


(今)

2024年11月撮影

昔の写真は、長興寺会館と市立文書館の南にある道路が完成した際のものです。くねくねした道が珍しいのか、遊ぶ子どもの姿も見られます。

この道は急こう配の坂道で、坂下が交通量の多い道路と合流しており、自転車で通る人の安全を守るために蛇行させたそうです。 地域の人たちからは「くねくね道」とも呼ばれ親しまれています。

ー地図ではこちらー



ふりかえり

いかがでしたでしょうか。今回は曽根地域からお届けしました。
市民会館や豊島公園プールなど、豊中市民にとっては成人式や夏の想い出として記憶に残っている人も多いのではと思います。

次回は、どこの懐かしい風景が見られるでしょうか。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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