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音楽を辞めるのをやめさせる人

豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。連載第6回は、豊中市でギタスナフェス2024を主催する藤田隆彰さん(41歳)です。

INTERVIEW FILE_6
音楽によって救われた藤田隆彰さん


「ギターケースの中身が気になってしょうがない」と言って、ギターケースを持っている人に片っ端から声をかけまくっている人がいる……。音楽好きな私としても気になる「謎な人」、藤田隆彰さんが今回の主役です。11月16日に開催される第8回ギタスナフェス2024(以下「ギタスナフェス」)の実行委員長を務める藤田さんに、イベント開催の経緯を聞きました。

ギターケースの中身が気になってしょうがない

――そもそも「ギタスナ」って何ですか?

ストリートスナップを撮影する様子を、SNSなどの動画で公開しているのを見たことありませんか? 見ず知らずの通りがかりの人に「かっこいいですね」などと声をかけて写真を撮らせてもらう。あれの「ギター版」をやっておりまして。ギタースナップス、通称ギタスナと呼んでいます。

――街角でギターの写真を?

ギターを持った人を撮影します。見た目、性別、年齢、職業などは一切無視して、とにかく「楽器を持って歩いている人」だけを条件に、街角で全く面識のない人たちに声がけをしています。最初はギターやベースだけだったのですが、最近は笛、打楽器、自作の楽器、珍しい民族楽器など、いろんな楽器を撮影するようになりました。世の中には実に多様な楽器を持って歩いている人がいるんですよ。

イベント展示用のパネルに貼り付けたさまざまなギタスナ写真

――きっかけは何だったのですか?

友人の田中くんがギターを辞めてしまったことです(笑)。田中くんは中学生の時からベースを弾いていた人で、高校からベースを始めた僕は、田中くんからベースを教えてもらっていたんです。ところが、大学生になって久しぶりに田中くんから連絡が来たら「ギターを辞めて、楽器も売っちゃった」と言われてしまった。

――よくある話じゃないですか

僕には衝撃でした。なにしろ田中くんが持っていた楽器のインパクトが強烈だったんです。見たこともないような箒(ほうき)型のベースで未来的な形をしていました。田中くんはずっと弾き続ける人だと思っていたのに、「楽器はもう手放した」と聞いた時はすごいショックでした。そこから僕の中に「何かできないだろうか」という思いが芽生えたのです。

――田中くんがギターを辞めたことで、藤田さんが思い詰めた??

放っておいたら多くの人が田中くんと同じように音楽を辞めてしまうんじゃないか、という気持ちになって。思いついたのが「写真で残そう」という手段。楽器だけの写真ならインターネットで調べればいくらでも見られるかもしれませんが、楽器を持っている個人に焦点を当てると、もう二度と見ることができないかもしれない。カッコいいベースを弾く田中くんの眩しい姿はもう見られなくなった。そんなきっかけから写真を撮り始めたんです。「音楽を辞める人が減ってほしい」という願いが根底にあります。

田中くんが大事な楽器を手放して音楽を辞めた

――まだよくわからないです

僕は中学時代に吹奏楽部に入って、初めて音楽をやるようになりました。担当はチューバ。部活のメンバーは、ほとんどの人がその後も楽器を続けています。僕の周りには音楽を辞める人がいなかった。ちなみに僕のチューバは学校からの借り物でした。だから、田中くんが自分で所有している大事なベースを手放して音楽を辞めた、と聞いた時には衝撃が大きかったのです。音楽が嫌いになったとか、事故や怪我で弾けなくなったというのではなくて、「演奏する側から聴く側に回ることにした」という話でした。そんな理由なら別に楽器を辞めなくてもいいじゃないって思ったんですよね。

田中くんのすごさを力説する藤田さん

――田中くんってそんなにすごい人だったのですね

僕にとってはリスペクトする存在だったのかもしれません。吹奏楽だと部活の先輩が教えてくれますが、ベースは教えてくれる人がいませんでしたから。田中くんは常に自分よりも先を歩いている感じがありました。いい楽器を持っているからというわけではありません。個性的な楽器を選んでいるし、既にベースの最先端の世界に入っている人というような感覚でした。

とはいえ別々の高校でしたから、四六時中田中くんから教えてもらうということはなくて。僕は初めて買った自分の楽器がうれしくて、雑誌を見ながら独学でベースを練習していきました。吹奏楽部でチューバを吹く僕と、軽音楽部でベースの腕をどんどん磨いていった田中くん。ベースに関しては、近くて遠い、憧れの友人という感じですかね。田中くんは大学に行っても軽音楽サークルで活躍していたはずです。

大学卒業の前後、久しぶりに田中くんから電話がかかってきて、先ほどの衝撃的な話をされたんです。「後輩が活躍しているバンドがあるんだ」みたいな話から「田中くんは最近やってるの?」と何気なく聞いてみたら、「楽器は辞めたんだよ」っていう話をされたんですね。「すごく活躍する人が出てきたから、自分はもう応援する側でいいんだ」と。挫折だったのかもしれませんが、本当の理由はわかりません。

気づいたら自分も楽器を触ることがなくなっていた

――このままでは「田中くん物語」になりそうなので(笑)、藤田さんご自身の歩みを聞かせてください

僕は中学から吹奏楽を始めて、高校生でも吹奏楽部。大学では学内のサークルではなく、箕面の市民吹奏楽団に入ってチューバを吹いていました。一方で、他の大学の友人とバンド活動も始めていました。

――相当な音楽好きになったのですね

確かにそうですね。中学、高校、大学と、自分は十分に音楽を楽しめていたと思います。そして、心の中では「田中くんもきっとベース弾きのずっと先を走りながら、音楽を楽しんでいるんだろう」と勝手に想像していました。

中学以降、ずっと音楽が近くにあった

――そこから「写真に残す」という発想になったのですか?

いえ。実は僕自身も就職してからは、ほとんど楽器を触らない人になってしまったんです。仕事が忙しかったことと、職場には誰も音楽の話をする人が周りにいなかったので。市民吹奏楽団も続けられず辞めてしまいました。

――就職がターニングポイントになる人は多いですね

兵庫県の三田にある工業系機械部品メーカーに就職して、篠山にある会社の寮で暮らしていました。車で行って働いて帰って寝るというだけの日々。同僚はみんな体育会系の人たちばかりで、音楽の「お」の字も聞こえてこない環境でした。

――音楽を辞めざるを得ない残念な気持ちは認識していたのですか?

正直、音楽そのものを忘れていたと思います。大学時代のバンドも解散していました。実はピアノを弾いていた妻と出会ったのもこのバンドです。就職して2年目で結婚しました。楽器を触ることはなかったのですが、音楽好きな妻と付き合っていたこともあって、「音楽が好き」という気持ちは心の片隅に持ち続けていたのかもしれませんね。

そのまま僕は30歳まで仕事に打ち込む日々を過ごしました。そんな時、妻が仕事を辞めて、 少しずつ自分の活動をやり始めたんです。絵本を読みながら、おもちゃのピアノを弾くという活動です。時々一緒にやることもあったりして、僕も再び音楽に触れる場が増えていきました。そして30歳で会社を退職することに。実家の家業を手伝ってほしいと両親に言われたのです。

あの時、本当はギターの製作者になりたかった

――藤田さんの物語が佳境に入りますね

会社を辞めて家業を手伝う条件として、僕は「ギターの製作学校に通わせてくれるなら」と言ったんですよ。

――30歳から学校ですか?

高校生の頃、僕は大学に行かずにギターの製作学校に行こうと考えていました。楽器を作る人、ギター製作者になりたかったんです。ところが、親からは「お願いだから大学に行ってくれ」と反対されてしまった。それを思い出したのです。「会社を辞めて実家の事業を手伝います。その代わりにギターの製作学校に通わせてほしい」という無茶苦茶な交換条件を両親に提示しました。

――奥さんは平気だったのですか?

はい。妻はむしろ全力で応援してくれました。ESPギタークラフト・アカデミーというギター製作・ベース製作専門の学校に入学。午前中は学校に行って、午後から仕事して、夜は資格スクールに通っていました。家業が不動産なので、宅地建物取引士の国家資格を取らなければならなかったんです。そんな生活を2年ほど続けました。

――どんなことを学ぶのですか?

ギター製作の一連の作業を学び、実際に楽器を製作します。設計の仕方とか、ノミとかカンナの使い方や整え方とか、塗装も。エレキギターを作るのですが、選択制なので合間にベースも作りました。最高の時間でした。

現在は不動産業のほか、楽器のリペアの仕事も手掛けている

――藤田さんはギターのフォルムとか楽器そのものが好きなんですね

あ、そうですそうです! だから「田中くんの箒ギター」にもくぎ付けになったんですよ。この学校では、楽器が完成すると自分の楽器の写真を撮ってくれました。そこで「あぁ、やっぱり写真に撮って残すんだ」ということがわかって、モヤモヤしていた気持ちが腹に落ちました。そしてギターを持った人のスナップ写真を撮り始めることになったのです。

――人とギターの写真だけど、藤田さんがフォーカスするのはギター(笑)

その通りです。ただ、カッコいいギターとか高いギターではなくて、普通のギターでも全然いいんです。「この人はこんなギターを持っているんだ」というのが気になるんですよ。

――「ギターケースの中身が気になる」という思いと、「写真に撮って残す」という行為には、結構な距離感がありますよね

「ギターケースの中身が気になる」っていう人は意外に多くて、僕が声をかけると「実は私も気になっていたんです」と意気投合するケースが結構あります。きっと楽器好きな人はみんな同じように思っているんじゃないかと僕は勝手に思っているんです。楽器はケースに入っているので中身が見えません。だから僕は図々しく「ケースの蓋を開けてもらう」ところまで行っちゃったのかと。

すみません。今、急いでますか?

――撮り始めたときのことは覚えていますか?

性格がビビリなので、最初は友人たちにお願いしました。餌食になったのは10人くらい(笑)。一緒に音楽をやっていた身内2人を五月山公園に連れて行って、撮らせてもらったのが最初です。でもあっという間に手持ちのコマは消費(笑)。いよいよ新規開拓をするしかなくなって、豊中駅で声をかけたのが本格的なギタスナの始まりです。

――最初の10人の写真はどこかに展示したのですか?

はい。撮影して終わりではなくて、ホームページに順次載せていくと決めていました。身内の10人を超えたら、知らない人に声をかけていくというのは覚悟していましたが、内心は警察に捕まったらどうしようと心配していました。

――ホームページに掲載していく活動は、藤田さんの頭の中で思い描いていることが「社会性を帯びていく」というプロセスそのものですね。みんなが見てくれることで新たな価値が付加される

「楽器や音楽を辞める」ってどういうことなんだろうと考えてみると、「周りに誰も仲間がいない」ことが原因だと行き着いたんです。逆に「始める」っていうことも、プロミュージシャンを見たり聴いたりして「すごい」と思って始めるのはいいんですけど、やっぱり遠いし壁が高すぎる。そうではなくて、普通の人が楽器を持っている写真がいっぱい並んでいるのを見たら、「じゃあ僕もやろうかな」「辞めないで続けようかな」という気持ちになれるかもしれない。このハードルの低さを価値として感じて欲しいんですよね。

――「人とギター」のサンプルは多ければ多いほどいいわけですね

そうなんです。「みんな」というのが大事で、このみんなが10人なのか100人なのか1000人なのか、ということなんですよ。

――藤田さんのギターフォルム大好きオタク心と、音楽を辞めないで欲しいと願う気持ちと、それが融合して誕生したのがギタスナなのですね

そうですね。ケースの中身のギターそのものが気になってしょうがないということももちろんあるけれど、撮影する時には「どんな音楽やってるんですか?」とかいろいろな会話を交わします。それがたまらなく楽しい。ギタスナを始めて10年で写真は1700枚くらいにまでなりました。

――どんな風に声がけしているのですか

楽器を持って歩いている人って、だいたい練習の行き帰りか、ライブ演奏の行き帰り。だからたいてい急いでいるか、疲れている。声をかけたらすぐに撮ることに重きを置いています。早い人なら「ギターの写真を撮らせてください」「いいよ」と一瞬で終わります。第一声は「ちょっとすみません。今、急いでますか?」。なので、正直かなり怪しい人ですよね(笑)。即お断りされることも多いです。

――断られない工夫はありますか?

一切考えていません。例えば5人立て続けに断られたとしても、今日はダメな日と思わないようにしています。次の6人目は撮らせてもらえるかもしれませんし。有名写真家でも何でもないので、撮らせてくれないのは自分自身のせいですから。ただ最近は「見たことあります」と言われることも増えてきました。うれしいですよね。撮影タイミングも日常の中で行けるときに行く。特別な準備はしていません。「こうじゃないとできない」と決めないようにしています。名刺も持っていれば出しますし、一眼レフがなかったらスマホで撮ることもあります。不動産業の仕事着のままで撮ることも多いです。

――名刺を出すと怪しまれなくていいですね

いや、そうでもないんです。楽器を持っている人って梅田や心斎橋に多いのですが、梅田は街頭で注意喚起の放送が流れているんですよ。「名刺を差し出し、言葉巧みに商品を売りつける人がいるので注意してください」って。だからワイシャツにスラックス姿で名刺を出すと、余計に警戒されます(笑)。

音楽を辞めないための1日

――ギタスナは「ギタスナフェス」という音楽イベントに成長しました

「走井のローソンにずっとギターを弾いている人がいるらしい」という噂を聞いて行ってみたら、本当にいたんですよ。こんなところで弾いて大丈夫なのかなと声をかけたら、なんとローソンの店長さんだった。マーキーさんと呼ばれている人なのですが、長い時は6時間くらい、通りを走るクルマに向かって弾いているらしいです。その人から「そんなにたくさんミュージシャンの写真を撮っているなら、みんなで集まってライブしたら楽しそうじゃん」と言われて気づいたんですよね。そうか、写真展をやる時、一緒にライブができるって。それが「ギタースナップスフェスティバル」(現在は「ギタスナフェス」)に繋がっていきました。

最初は「ギタスナ200枚展」という写真展を梅田のバーの2階を借りて開催したのですが、2回目の「ギタスナ300枚展」からライブもセットにしたイベントになりました。写真はどんどん増えていって、400枚展、500枚展、600枚展、700枚展と拡大していった。ただ、お店が50人程度しか入れないことから、どうしても演奏はアコースティックが中心。ドラム付きのバンドは出られなかったんですよね。

一方で、僕はもともと野外音楽フェスに行くのが大好き。フェス好きは自分でフェスをやりたくなるという話もまんざらではなくて。ギタスナで撮影してきた人の中には、飲食店をやっている人がいて「野外出店もできるよ」なんて言ってくれるんですよ。そういえば音響さんもいたことを思い出して。「自前で音楽フェスができるじゃん」と。気づいたら緑地公園の野外音楽堂を予約していました(笑)。

ギターだけでなく鍵盤楽器で参加する人も

――「ギタスナフェス」はどんなコンセプトのイベントなんですか?

2017年の1回目は、ギタスナ写真を撮らせてもらった人全員を主体にして、音楽好き集まれ!という感じでした。その中で、子どもたち50人を集めてステージの上で演奏しよう!という企画が好評で、「全員で何かやる」という形が現在に至るまで重要なスタイルになりました。

――みんなで演奏するのは忘れられない体験になりますね

今は人数が多くなったので、ステージには上がらず、集まった人たちが誰でも自由に参加して演奏できる「500人ギター」という企画として、その場で全員演奏をするようになりました。事前に発表される3つの課題曲を全員で演奏します。第1回からスピッツの「空も飛べるはず」が固定の課題曲で、他の2曲は投票で決まります。

今年で8回目の開催となりました。当初3回は緑地公園の野外音楽堂で開催していましたが、4回目以降はふれあい緑地に場所を移して規模が大きくなりました。また、「練習部」という部活のようなノリで「みんなで学べる」仕組みも作っていて、ギタスナメンバーが庄内や服部、豊中などで講習会を定期的に行っています。妻もピアノ教室で練習部の講習をやっています。一人では課題曲にチャレンジするのがたいへんという人などが、積極的に講習会に参加してくれて輪が広がっています。

――イベント開催にはお金がかかりますよね?

1回目から「参加者のイベント参加費は無料」に徹していますし、ステージで演奏してくれるプロミュージシャンにはお金を払って出演してもらっています。全額自腹を覚悟して企画し始めたのですが、妻の提案で豊中市に申請したところ、ありがたいことに1回目から「豊中市魅力アップ助成金」に採択していただきました。4回目以降は豊中市のクラウドファンディング枠に採択いただいていて、今年も10月9日から11月28日までの期間でご寄付・ご支援をお願いしています。

――イベントはどんな感じで行われるのですか?

プロの方が演奏するステージが複数あって、周りはキッチンカーや野外出店で賑わいます。最大で60店舗出たことがありますよ。今年はメインステージが2つとアコースティックステージが1つ、野外出店は20~30店舗となる予定です。オープニングとエンディングに参加者全員で演奏する恒例の「500人ギター」が行われます。

参加者全員がそれぞれの場所で演奏する「500人ギター」

――ステージで演奏するのはプロなんですね?

はい。ギタスナ写真を撮らせてもらった人たちの中で、プロとして活動している人、音楽で生活している人に、報酬をお支払いして出演していただいています。「みんなが音楽を続けるために」という考えに照らすと、プロはギャラをもらわないと活動を続けられないことは明白です。正規の金額よりもギタスナフェスのギャラは少ないかもしれませんが。今年はアマチュアの団体でも、日々団体での活動実績がある方々には出演してもらおうということで、ステージのプログラムに組み込んでいます。

――ギタスナフェスに参加している人たちからは、どんな反響がありますか

一緒に演奏する人たちからは「楽しい」と言ってもらっています。僕らの思いは「一年に一回、楽器を持って集まれる場所」という位置づけになってほしいという気持ちです。弾いても弾かなくても構わない。この日だけは家で埃を被っている楽器を持ち出してくる日、と決めて来る人もいます。フェスに来たことがきっかけになって翌年はちょっと弾けるようになっているかもしれませんから。「一年に一度、みんなの演奏場所を作ることで、音楽を続けてほしい」という願いを込めてやっています。

ギターメーカーの名前をもじった神様も

仲間がいれば、音楽を辞めないでいられる

――写真を撮り始めた時には「このシーンがもう見られないかもしれないから撮り残しておきたい」という気持ちだったと思いますが、現在のフェスのメッセージを見ると「音楽を続けて欲しいから」という前向きな方向に変わっていますね

そうですね。言い方を変えると、フェスは「音楽を辞めないための1日」でもあります。どうやったら音楽を辞めずに続けることができるのか。考えた結果が、全員参加型・野外音楽フェス「ギタスナフェス」なのです。

僕の名刺には「ギターケースの中身が気になってしょうがない」という肩書が書いてありますが、「音楽を辞めるのをやめさせる人」と自己紹介することもあります。音楽を辞める理由というのは「仲間がいない」「やる時間がない」「やる場所がない」といろいろありますよね。それを一個ずつ潰していければいいわけです。やる場所がないのなら、このギタスナフェスならやれる場所がある。練習部を使えば練習する時間は作れるし、一緒に練習する仲間もいる。音楽を辞める理由はなくなっていきますよね。

思い返せば、僕自身、仕事が忙しいときは楽器に全く触っていなかったし、触っていなかったことにすら気づいていなかった。そしていつの間にか下手になって弾けなくなっていた。結局のところ「続けること」ではなくて「辞めないこと」が大事なのだと思っています。

仲間がいれば、音楽を辞めなくて済む

――この活動そのものを辞めたいと思ったことは?

一度もありません。カッコよく言い過ぎかもしれませんが、僕はそもそも「音楽に対して何かできないか」と思っているところがスタートでした。勉強もできないし、スポーツもできない。小さい頃から、自分にできることが全くなかったんですよ。小学校の時なんか、「真面目そうな顔をしているのにどうしてできないの?」と言われていたくらい勉強ができなかった。小学生の頃って、足が速くてモテるか、勉強できてモテるかじゃないですか。どっちもダメだったので、僕は何もできない人間なんだと思い込んでいました。そんな少年が吹奏楽部で音楽に出会ったことで、初めて自分を認めることができるようになったんです。高校ではベースに興味を持つことができた。音楽ができる自分を見つけることができて、音楽が自己肯定感を上げてくれたんです。だから、音楽を辞めそうな人には「こんなに素晴らしい音楽をなんで辞めちゃうんだよ」とおせっかいな感じになってしまうのかもしれませんね。

――いいですね。そういう人、近くにいてほしいな

音楽に出会って人生が変わりましたからね。出会っていなかったら、未だにウジウジしていた少年のままだったと思います。妻と出会えたのも音楽のお陰ですし。音楽に救われたわけです。

――写真を見ると、その時の音とか一緒に演奏したメンバーのことなんかを思い出すじゃないですか。藤田さんのカメラが、その思い出をギュッと閉じ込めるというか、宝物を保存してくれるような感じがします

何をもって音楽を愛していたのか、自分の演奏をどんな人が聴いてくれたのか、初めて買った楽器を弾いた時の感覚とか、その人とその楽器だけが持っている物語を「僕は忘れないよ」と思いながら写真に残しています。ちょっとおせっかいな人かもしれませんが(笑)。

――まさに世の中に必要とされる場所。だから毎年ギタスナフェスにたくさんの人が集まってくるんですね。今年のフェスも楽しみにしています

11月16日、ふれあい緑地でお待ちしています!

ギタスナフェス実行委員長
藤田隆彰さん

「ギタスナフェス2024」開催概要
公演名:ギタスナフェス 2024
主催:ギタースナップスフェスティバル実行委員会
テーマ:垣根を超えて、奏でる、つながる、響きあう
日時:2024年11月16日(土)
開場:10:30~
開演:11:11~
閉場:16:00
会場:ふれあい緑地(大阪府豊中市服部西町5-22ふれあい緑地第四街区)
入場料:無料
公式ホームページ
https://gs-fes.com/

「クラウドファンディングがスタートしました」
豊中市寄附受付サイト
https://toyonaka-kifu.jp/aid/detail.php?id=e0e7fb1cee9251b5b2c286a01d43bc6d
目標金額:1,774,000円
実施期間:2024年10月9日~11月28日
※返礼品はありません

「街角ギター写真ギタースナップス(ギタスナ)」
公式ホームページ
https://guitarsnaps.jimdoweb.com/

【取材後記】
人生の転機を前向きにとらえ、それまでの自分に折り合いをつけるために「スナップ」として「今の輝き」を残しておきたい。「その人の音楽が誰に届けられ、誰にその音楽を受け入れられ愛されたのか、私もみんなも忘れないように」という「愛情と切なさが入り混じった、踏ん切りの手続き」が藤田さんのスナップ写真なのかなと思っていました。田中くんの写真を撮っておけばよかった、と思ったときはきっとそんな気持ちだったのでしょう。思い出を閉じ込める、いわば封印の作業です。

一方で、「ギターケースの蓋を開けて中身を見せてください」という行為は、封印を解いて、個々人が蓋をしたものにもう一度光をあてる作業であるとも言えます。そしてたくさんの人の目に触れることで、また新しい命や新しい役割が与えられることに気づくのかもしれません。

街角で藤田さんに出会えた人はラッキーですが、このイベントに足を運んでみれば同じような体験をみんなで共有することができるかもしれません。1年に1度、図らずも封印してしまった楽器を持ち寄って、蓋を開けて光をあててみませんか。楽器を持っていない人も、音楽をやっていない人でも、心の奥底や遠い昔に閉じ込めた何かを抱えている人は、ふらっとギタスナフェスに行ってみてはいかがでしょうか。

田中くんの後日談を聞きました。田中くんが仕事の関係でベトナムに住んでいたとき、藤田さんが会いに行ったところ、ベトナムでギターとベースを買ってまた弾き始めていたそうです。よかった!

次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきますね。なお、このインタビュー記事は豊中市の情報発信を共に推進する外部人材として、たねとしおが担当しています。

【取材・文】たねとしお/明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。ゆめのたね放送局オレンジチャンネル日曜朝7時30分~「社会人大学院へ行こう」番組パーソナリティとしても活躍中。