写真でみる想い出の豊中~服部編~
豊中の歴史を写真とともに振り返る「写真でみる想い出の豊中」。
第2回目となる今回は、服部地域からお届けします。
↓前回「庄内駅編」はコチラから
※以降、写真に写っている人のお顔には、ぼかし修正を加えています
服部天神駅東側改札前
(昔)
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(今)
服部天神駅の東側、改札口前の様子を捉えた写真です。
少し懐かしさを感じる風景は、大和ハウスのCMにも採用されました。
昔の写真は「悪徳商法追放キャンペーンの様子」として記録が残っており、着ぐるみを被った人や楽器を演奏している人などが賑やかに啓発活動を行っています。
写真に写る服部天神駅は、1910年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)による梅田-宝塚間の開業と同時に服部駅として設置されました。宝塚線では岡町駅とともに豊中市内で最初に設置されたれた駅の一つです。
また、写真右奥には服部西商店会の通りが見えます。現在も飲食店などが立ち並び、当時と変わらない賑わいをみせています。
服部天神駅東側(府道145号線)
(昔)
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(今)
服部天神駅の東側、府道145号線から駅方面を収めた写真です。
現在の写真の左奥に写る仮囲いは、現在、市が服部天神駅前広場として整備を進めている箇所です。歩行空間の確保やロータリーの設置などが行われ、新たな地域の顔として2025年度中の完成を予定しています。
服部防災街区
(昔)
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(今)
防災建築街区造成事業の一環として整備された、国道176号の服部天神駅前交差点角にある建物です。
当時のまちづくりの様子について、1969年に市が発行した市勢要覧では以下のように触れられています(記事中の年の表記は元号(昭和))。
服部天神駅 北東線路沿い
(昔)
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(今)
昔の写真は線路沿いに自転車置き場が設置された時のものです。
現在も同じ場所が自転車置き場として使用されていたり、同じ家屋が建っていたりと景色に大きな変化は見られませんが、通行するバイクや車の形状から時代の流れを感じます。
穂積第三踏切(西向き)
(昔)
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(今)
穂積第三踏切(東向き)
(昔)
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(今)
服部駅から南へ400mほど向かった位置にある穂積第三踏切を写した写真です。こちらも大きな変化は見られませんが、元気にはしゃぐ小学生など当時の地域の様子が収められています。
↓地図ではコチラ
服部阪急商店街
(昔)
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(今)
昔の写真は服部阪急商店街に全蓋式アーケードがあった頃の写真です。
アーケードは老朽化に伴いその役目を終え、2015年に撤去されています。
また、「洋品・雑貨 ニュー」さんや「紳士用品 マスヤ」さんなど、現在も営業されているお店の看板が並んでいます。
上の写真は、1977年に同じ場所で撮影されたものです。何かのイベントでしょうか。アーケードの中に数えきれないほどの人が詰めかけている様子が記録されています。
写真について、商店街で当時から営業されている「御菓子司 富貴屋」の山下さんにお話しを伺ってみました。
写真に写っているのは、「当時商店街で行っていたバザーで、各店舗から出し合った自慢の商品を競り売りのような形で販売していた」ときのものとのこと。
また、当時の商店街の様子について、「テレビ局が取材に来るほどの賑わいがあり、通りが活気に溢れていた」といいます。(堀ちえみさんやタージンさんが来られたそうです!)
当時と比べると、商店街を往来する人は減りましたが、現在は飲食店が増えたおかげで夜の方が活気があるようです。
ふりかえり
いかがでしたでしょうか。
今回は、今でも一部に昔のまち並みや店舗が残され、どこか昭和の空気を感じるまち服部からお届けしました。
周辺にお住まいの人には懐かしい風景もあったのではないでしょうか。
次回は、どこの懐かしい風景が見られるでしょうか。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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