親亡き後も、子どもが生きていける力を!
豊中に住み、働き、学び、活動する人々には、素敵にかっこよく生きている人たちがたくさんいます。豊中市公式noteで連載を開始した、豊中でいきいきと活動している人にスポットをあてたインタビューシリーズ。彼らが語る「豊中で豊かに生きる力」をヒントに、読者の皆さんご自身の「生きる力の種」を見つけてほしいと願っています。
連載第3回は、特定非営利活動法人ハニー・ビーの理事長・八木みどりさん(61歳)です。
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豊中の子どもたちの”明日を照らす” 八木みどりさん
「子どもたちが将来も笑顔でいられるように、自立と就労による社会参加をめざしています」
そう話す八木みどりさんは、特定非営利活動法人ハニー・ビーの理事長として、障害のある子どもたちの就労支援や生活サポートに20年近く取り組んできた、まさに「豊中のお母さん」のような存在です。八木さん自身も、障害のある息子、隆介くんを育てた経験を持つ母親。我が子の将来を案じる中で、同じように悩む親御さんたちの力になりたいという思いから、2006年8月1日に任意団体としてハニー・ビーをスタートさせました。そして、2009年8月12日には「人として自立、就労での参加の実現」を目的として特定非営利活動法人格を取得。さらに、2017年2月1日には就労継続支援B型事業所「ハニー・ビー ジョブB型」を開設し、障害のある人たちが働く場を創出しました。
「みんなにやさしい共生社会の実現」。これが、八木さんがハニー・ビーの活動を通して実現したいと願う未来です。障害のある人の社会参加とは、健常の人が障害のある人をサポートするだけではなく、健常の人と障害のある人が共に支え合って社会を形成していくものだと八木さんは考えています。そのためには、障害のある人が子どものうちから「自立」して生きていけるように育んでいくことが大切なのです。障害があるから「何もできない」のではない。障害がある人は「助けてあげるべき存在」でもありません。一人ひとりの個性を見つめると、できる可能性があることに気づくはず。チャレンジできない環境こそが障壁であり、その障壁は親や支援者側が作ってしまっている。だからこそ、支援者である自分にはその障壁を取り払う使命があるのだと八木さんは語ります。
銀行員時代に培った「人とのつながり」と、隆介くんの誕生
――もともとは接客の仕事に就いていたと聞いています。
商業高校を卒業した後、銀行員として働いていました。命の次に大事なものはお金だ、と思っていましたから。窓口業務に憧れていたのですが、当時から銀行員に必要な「冷静さ」や「正確性」には少し欠けるところがあったようです(笑)。元気と明るさだけが取り柄でした。20歳になり念願の窓口業務を担当するようになりました。うれしかったですね、張り切りました。当時、お客様とのコミュニケーションを何より大切にしていたと思います。
お客様一人ひとりの顔と名前を覚え、世間話をしたり、ご家族の話を聞いたり。時には悩みを相談されることもありました。預金や融資の相談はもちろんですが、お客様の人生に触れるような、深いお話をすることも多かったですね。まるで地域の相談役のような存在だったかもしれません。
――お客様とのコミュニケーションを円滑にする工夫をしていたのですか。
例えば、ペットを飼っているお客様には、犬種や猫種の話で盛り上がったり、お子さんがいらっしゃるお客様には、学校の話や将来の夢を聞いたり。共通の話題を見つけることで、お客様との距離を縮めるように心がけていました。また、お客様が来店された際には、必ず笑顔で挨拶し、お名前を呼ぶようにしていました。些細なことかもしれませんが、お客様に「大切にされている」と感じていただくことが、信頼関係を築く上で重要だと考えていました。
――そんな八木さんの人生を大きく変えたのが、隆介くんの誕生ですね。
1989年に長女が誕生し、隆介は1991年に生まれました。少し目の動き(斜視)が気になりましたが、7カ月で片言の言葉を話してくれて喜びました。ところが1歳になり笑顔が消え、言葉も話さなくなり、表情もなくなってきました。1歳半の健診で言葉の遅れを指摘され、「自閉症スペクトラム」という聞いたこともない診断名でした。男の子の1%にそんな先天的な症状が現れるが、原因は不明、治療法もない。子育ての喜びとともに、「どうして私の子だけがこんなことに」と落ち込みました。隆介が1歳になった頃、夫の転勤で埼玉県に住んでいたのですが、長女は通園バスによって大きな幼稚園に通い、一方の隆介は母子通所施設に通って「療育支援」を受けることになりました。長女が笑顔でお友達と通園バスに乗り込む姿を見て、隆介とは別なんだなと言い知れぬ悲しさを感じました。
障害があるんだから仕方がない、と思う一方で、このように「分けて育てる」ことへの疑問も感じるようになります。長女が通っていた幼稚園で月1回開催される未就園児クラスに隆介が参加した時、健常の同い年のお友達と一緒に遊ぶ様子を見て、私自身が本当に癒されました。「姉弟が一緒に通わせてもらえる環境はないだろうか」と模索していたところ、夫が関西の勤務先に戻ることになり、豊中の学校法人育保学園熊野田幼稚園に相談して、長女と隆介が一緒に通える環境を整えていただくことができました。園長先生が「一緒にやっていきましょう」と受け止めてくださった。これが今の私の「共育」活動の起点になったと言っても過言ではありません。
――インクルーシブ教育を実践してくださったのですね。
たくさんの愛情を注いでくださる幼稚園でしたし、家にも同じ幼稚園に通うお友達がお母さんと一緒に遊びに来てくれて、とてもにぎやかでした。それから私も「働きたい」気持ちが再燃して、パートで久しぶりに銀行の制服を着られるようにもなりました。隆介の豊中市立泉丘小学校への入学もスムーズに引継ぎしていただいて、6年間にわたり多くのお友達とつながり合うことができました。この小学校での体験の様子が「ぼくもぼくのことすき」(毎日新聞社刊)というノンフィクション童話となって出版されました。児童文学作家の野田道子先生が書いてくださったのですが、隆介は「三木こうすけくん」という名前で登場しています。
――こうすけくんのキャラクターが愛おしくなりました。
外からは見えづらい障害児教育をとてもわかりやすく、リアルに書いてくださっていると思います。当時は、インクルーシブ教育という言葉すら一般的ではありませんでした。学校側も、受け入れに難色を示す先生もいました。周りの人たちからは、「障害のある子どもを無理やり普通学校に入れるなんて、親のエゴだ」と批判されることもありました。
――それでも八木さんは、諦めなかったのですね。
隆介には、周りの子どもたちと関わり合いながら、社会性を身につけてほしい。そして、地域の人たちに、障害のある子どもたちのことをもっと知ってほしい。そのためには、隆介が地域で暮らす姿を見せることが、一番の理解につながると信じていました。地域の婦人会や子供会、PTA活動にも積極的に参加するようにしていました。銀行の勤務形態がパートだったのも、その活動と両立するためでもありました。
――八木さんの粘り強い説得と、隆介くん自身の明るさと素直さで、周りの人たちの心は徐々に開かれていったのがわかります。
隆介は言葉で自分の気持ちを伝えるのが苦手でしたが、絵を描くことが大好きでした。いつも、赤いクレヨンから書き始めるんです。隆介の描く絵は、力強く、鮮やかで、独特の世界観がありました。太陽や火山の絵にも見えるという人もいます。力強い赤やオレンジの色使いは、隆介自身のエネルギーを表現しているのかもしれませんね。隆介は言葉ではなく、絵を描くことで、自分の心を表現していました。隆介のように、障害のある子どもたちにも、それぞれの表現方法、輝き方、つまり個性がある。それを社会に知ってほしい。そして、彼らが社会で活躍できる場を創りたい。そう強く願うようになりました。
銀行員時代のお客様とのコミュニケーションを通して培った「人とのつながり」と、隆介くんの存在。この二つが、八木さんを福祉の世界へと導いたのです。隆介くんが成長するにつれ、八木さんは、障害のある子どもたちを取り巻く社会の現状に、さまざまな課題を感じ始めます。
「ないものは作る、自分で作る」
――現在の福祉事業につながる原点はどこにあるのでしょうか?
障害のある子どもたちが、安心して暮らし、学び、働ける場所が、圧倒的に不足している。行政の支援も十分とは言えない。このままでは、隆介を含め、障害のある子どもたちの未来は閉ざされたままになってしまう。もしも、親である私たちが亡くなってしまったら、残された隆介はどうなるのか?そんな強い危機感を私は抱きました。待っているだけでは、何も変わらない。ないものは作る、自分で作るしかない。そう決意したのです。そして、私たちと同じように悩み、苦しんでいるご家庭も多いだろうと。
――その強い決意が、八木さんを突き動かしたのですね?
私が45歳の時、2006年に任意団体ハニー・ビーを設立して、障害のある子どもたちとその家族をサポートする活動を本格的に開始しました。そして2009年にNPO法人(特定非営利活動法人)として法人格を取得。さらに活動の幅を広げ、2017年には念願の就労継続支援B型事業所「ハニー・ビー ジョブB型」を開設し、障害のある人たちが働く場を創出しました。
「できない」を「できる」に変えるハニー・ビー
――ハニー・ビーで目指しているのはどんな世界なのですか?
ハニー・ビーでは、就労支援、生活サポート、余暇活動など、幅広いサービスを提供することで、障害のある子どもたちが、社会で自立し、自分らしく生きていけるように、日々活動を続けています。私たちが提供するサービスは、今すぐに役立つというだけでなく、10年後、20年後の子どもたちが生きる礎を築くものだと思っています。一人ひとりの個性に対して、人としての尊厳を持ちながら、社会に貢献できる力を身につけて育んでいくことを目的としています。大切なことは「体験すること」「感動すること」です。日々の体験から感動を通して学び、いくつになろうと成長を重ねていきます。これって、障害のあるなしに関わらず、子どもはみんな一緒だと思うのです。私たちは「障害があるから」と諦めるのではなく、障害といわれる個性(特性)を持つからこそ、様々な体験を通して無限の可能性に向かってチャレンジすることができるのだと信じて活動しているんです。
――ハニー・ビーの事業内容を具体的に教えてください。
主に以下の6つのサービスで障害のある子どもたちをサポートしています。
●障害児通所支援「放課後等デイサービス」
心身の障害あるいはサポートが必要とされる子どもに対して、遊びや学習を通して日常生活に必要な動作を習得し集団生活へ対応できるよう療育を実施します。障害があっても社会参加は当たり前。そのために小学生から「生きる力」を養えるように取り組んでいます。中高生には「働く」ことへの意識を高めるために、職場体験実習にも参加し、「働く=傍の人を楽にする」ということを実際の現場で体験します。児童対象は「マイ児童デイサービスそね」、中高生対象は「マイ児童デイサービスはっとり」の2拠点で展開しています。
●居宅介護・移動支援「アプリコット介護サービス」
自宅での生活サポートや子どもたちの外出の際の付き添い、移動の支援を行います。ご家族への支援「レスパイト(休息・息抜き)」にも留意することで、寄り添うような安心できるサービスを心掛けています。ご本人の力を引き出す「先回りをしない支援」を大切にし経験値を上げることでご本人の自信につなげていきます。
●相談支援「相談支援センター ハニー・ビー」
この街で自分らしく生きていけるように、障害のある方とご家族に「寄り添い」一緒に相談し、福祉・仕事・保険・医療・仕事・すまい・余暇など暮らし全体をコーディネートするお手伝いをしています。「働きたいけど生活面でのサポートが必要」「ハローワークでの手続きが煩雑でわからない」そんな相談にも応じています。
●自立・自律をめざす就労継続支援B型事業所「ハニー・ビー ジョブB型」
ハニー・ビー ジョブB型では、今時点で一般企業での就労が難しい人、一旦就職はしたが離職した人、仕事を通じて社会的に自立をめざしたい人に「働く場を提供」するとともに、日常生活を営む際に必要な知識の習得や能力の向上のために、さまざまな体験や訓練を提供しています。一人ひとりの個性に合わせた個別支援計画に基づいて、就労準備から就労後の職場定着までのサポートも行っています。
●地域連携事業
地域でのさまざまなイベントを通じて、地域の皆さんとの温かい関係性が広がる「共生のまち」になることを願っています。
◆みんなでワイワイさんあいイベント
障害のあるなしに関わらず、地域で「当たり前に暮らしたい」と思い、であい・しりあい・わかりあい=3つのあい=の場所を作ろうと、この3つのあい(=さんあい)をコンセンプトに、10年ほど前から毎年実施しているイベントです。サポートが必要な子どもたちだけでなく、地域のこどもたちと地域の方とが関わるきっかけになり、顔の見える関係性ができればという思いで始めました。「こども店長体験」では、各出展ブースにて子どもたちが実際に「お仕事体験」をします。お仕事体験では、働く喜びや、人と関わることの面白さ、お金の大切さを知ることを目標とし、お給料として「プレゼント」も用意しています。
●療育支援
◆サポートが必要な子どもたちとの宿泊体験 in 淡路島
サポートの必要な子ども(小学校4年生から18歳まで)に、いつもと違う環境のもとでグループ(集団)で行動する際のルールなどを学ぶ宿泊イベントです。料理、魚釣り、お風呂など、さまざまな体験を積み重ねることで、自信を持ち、新しいことにもチャレンジする気持ちを持ってもらいます。また、サポーターとして参加してくれる学生や社会人など、日ごろ障害のある子どもと関わることが少ない人との交流の機会を持つことも大事な体験の場となります。
◆サポートが必要な子どもたちの料理教室
サポートが必要な子どもたち自身が、保護者以外の人たちと関わりを持ちながら「料理を作る」楽しさを感じ、体験値を高め、日常生活での自信につなげていきます。ボランティアスタッフとの交流を通してコミュニティの醸成も図られます。
これらのサービスを通して、子どもたちの「できない」を「できる」に変え、自信や笑顔を引き出しています。話のネタは本当にたくさんありますが(笑)。例えば、こんな「できる」がありました。大阪府庁舎管理課職場実習研修です。これには2名がAコース(守衛コース)にエントリーして、5日間、要人警護などの貴重な体験をさせていただきました。大阪府の担当の方は、私たち実習生のことを短時間で理解していただき、子どもたちが「初めてやってみること」を実際の彼らの目の前でやって見せ、また子どもたちができるまで待ってくださったうえで、できたことを褒めてくださる。参加した実習生は、不安が自信に変わり自分から「またやってみたい」と言うようになりました。
――NPO法人設立から15周年。これまでを振り返っていかがですか?
本当にあっという間の15年でした。設立当初はたった一人で始めた活動でしたが、今では、たくさんのスタッフやボランティアの方々に支えられ、多くの子どもたちとその家族をサポートできるようになりました。もちろん、楽しいことばかりではありませんでした。資金繰りに苦労したり、スタッフと意見がぶつかったり、時には、親御さんから厳しい言葉をいただくこともありました。それでも、諦めずに活動を続けてこられたのは、「この子たちの未来を、少しでも明るくしたい」という強い思いがあったからです。
――未来を明るく、とは障害のある子どもたちの社会参加、つまり就労支援ですね?
そうです。大事なのは「どうせこの子はできない」と決めつけず、可能性を信じることです。隆介が絵を描くことが大好きだったように、障害のある子どもたちにも、必ず、個性や才能があります。それを引き出し、伸ばしてあげることが、私たちの役目です。
就労支援では、企業と連携し、子どもたちの個性や能力に合わせた職場を紹介しています。また、2023年にオープンしたハニー・ビーが営む「ハニーラボ」では、カフェやパン工房、農園などを運営し、パンや焼き菓子などの「もの作り」のお仕事や接客のお仕事で就労の機会を提供しています。「ハニーラボ」には、「障害者たちが働く姿を社会に見せたい」という私の願いが込められています。彼らが一生懸命に働く姿を見てもらうことで、障害のある人に対する理解を深め、社会との垣根をなくしていきたいと考えています。子どもたちはここで働く喜びを知り、自信をつけ、社会の一員として認められる経験を通して、大きく成長します。ぜひ豊中市民の皆さんにも、ハニーラボのパンや焼き菓子を召し上がっていただき、子どもたちの働きぶりを見てやってほしいと思います。
豊中市は「子育てしやすさNo.1へ」とうたっていますね。今、本当に「子どもにやさしい」というのはどういうことなんだろうって考えますよね。私が考える「本当にやさしい」というのは、自分たちの街の子どもたちの力をつけてやることだと思っていますし、その環境を整えることであって、「代わりに何かをやってあげる」ということではないと思うのです。この責任はやっぱり保護者にあるんですね。保護者が笑顔でいること、特にお母さんが笑顔でいることが、子どもたちにとっての幸せなんじゃないかなって実感しています。私には特別なことは何もできませんけれど、お母さんたちとお話ししたり食事に行ったり、一緒になって旦那の愚痴を言ったりしながら(笑)、「スッキリしました! 明日からも頑張れます」と笑顔で帰っていただけるような日々を過ごしています。「いやいや、頑張らなくていいんだよ! 楽しく笑って生きればいいのよ!」ってね。
みんなにやさしい共生社会の実現
――今後の目標を教えてください。
私が活動を開始してから一貫して変わっていません。障害のある子どもたちが、地域の中で当たり前に暮らし、働き、活躍できる社会をつくることです。そのためには、企業や行政の理解と協力、そして地域の皆さまとの取り組みが不可欠です。「障害者だから」と特別な目で見られるのではなく、「一人の人間」として尊重される社会。誰もが、自分らしく生きられる社会。つまり「みんなにやさしい共生社会の実現」、それが、ハニー・ビーの目指す未来です。そのために、これからも地域の人たちと連携しながら、さまざまな活動を展開していきたいと思っています。
――最後に、読者へのメッセージをお願いします。
障害のあるなしに関わらず、すべての子どもたちが、それぞれの個性と能力を活かして、輝ける未来を地域の力で創造していきたいですね。私たち一人ひとりが、できることから始めていくことが大切です。例えば、地域のイベントに障害のある子どもたちが参加しやすいように配慮したり、お店で障害のある人が困っていたら、声をかけて手伝ったり。小さなことかもしれませんが、そうした一人ひとりの心がけが、温かい社会を作っていくと信じています。まずは、11月10日のさんあいイベントにお運びいただければ幸いです。
特定非営利活動法人ハニー・ビー 理事長 八木みどりさん
公式サイト
https://www.honeybe.jp/
本部事務局
大阪府豊中市本町6-8-1金岡ビル1F・2F
TEL06-6152-7389
【取材後記】
八木さんの温かい人柄と、子どもたちへの深い愛情に感銘を受けました。そして、八木さんの言葉の一つひとつに、重みと説得力がありました。それは、長年、障害のある子どもたちと向き合い、様々な困難を乗り越えてきた八木さんだからこそ伝えられる、真実の言葉だと感じました。ハニー・ビーの活動は、障害のある子どもたちだけでなく、私たちにとっても、多くの学びを与えてくれるものです。「どうせできない」と決めつけるのではなく、「どうすればできるようになるか」を一緒に考え、寄り添い続けることの大切さ。一人ひとりの個性や才能を認め、尊重することの大切さ。八木さんのような情熱と行動力にあふれた人が、豊中の街を、そして社会をより良い方向へ導いてくれると確信しました。
インタビューの最後に、八木さんは隆介くんについて、こんな話をしてくれました。「隆介は、3年前に亡くなりました。30歳でした。短い人生でしたが、隆介は私にたくさんのことを教えてくれました。障害のあるなしに関わらず、すべての人間は、愛される権利があり、幸せになる権利があるということ。そして、どんな困難にぶつかっても、諦めずに、希望を持って生きていくことの大切さを。隆介が亡くなった後、私はしばらくの間、何も手につかず深い悲しみに暮れていました。でも、隆介の笑顔を思い出すたびに、『お母さん、頑張って!』と励まされているような気がしました。そして、隆介が教えてくれたことを、これからも多くの人たちに伝えていきたい。そう強く思いました」。八木さんの活動は、隆介くんへの愛と、隆介くんが残してくれたメッセージを、未来へとつなぐための活動でもあるのです。
次回のインタビューもどうぞお楽しみに。皆さんの日常にささやかな刺激とインスピレーションをお届けしていきますね。なお、このインタビュー記事は豊中市の情報発信を共に推進する外部人材として、たねとしおが担当しています。
【取材・文】たねとしお/1966年岩手県生まれ。明治大学文学部を卒業後、株式会社リクルートに入社。関西支社勤務時代には曽根に在住。リクルート卒業後は「男の隠れ家」出版局長を経て、現在は株式会社案の代表取締役社長。東京と京都を拠点に全国各地を取材で駆け回る。2024年3月立命館大学大学院経営管理研究科(MBA)を修了。学びのエバンジェリストとして、現在も京都大学で学びを継続しながら社会人のリスキリングを広める活動にも勤しんでいる。歌とワインとクルマが大好き。