いちゃりばちょーでぇ!豊中市・沖縄市兄弟都市としての50年
豊中市と沖縄市は令和6年(2024年)11月3日に兄弟都市提携50周年を迎えます。
これまで沖縄市とは文化・平和・スポーツなど、さまざまな分野で交流を行い、友好を深めてきました。
特に今年は50周年記念として特別な催しも両市で実施します。
今回の記事では、豊中市と沖縄市の歴史を紐解き、交流にまつわるスポットをご紹介します。
豊中市・沖縄市 交流の歩み
交流のはじまり
豊中市と沖縄市の交流のはじまりは、昭和39年(1964年)に遡ります。
豊中に住む沖縄戦の戦没者遺族のためにと、コザ市(のちの沖縄市)から豊中市に霊石と仏桑華(ハイビスカス)が送られてきました。
これは、当時の豊中市の竹内義治助役(故人・昭和41年から市長)が、沖縄道路事情視察団の一員として沖縄を訪問し、コザ市の大山朝常市長(故人)と懇談したことがきっかけです。その後、両市の友好が今日まで続いていくこととなりました。
兄弟都市提携へ
戦後、コザ市を含む沖縄はアメリカ軍の統治下にあったため、国内の行政事情が分かりにくいという状況にありました。大山市長は職員の研修先を探しており、竹内助役が豊中市へ来てはと提案します。そうして、昭和40年(1965年)から、コザ市職員が研修のため、豊中市役所へ派遣され様々な部局で仕事をしながら学びました。いつしかこの研修は「豊中学校」と呼ばれ、訪れた職員は、昭和50年代にかけて延べ100人あまり、なかには数か月にわたって滞在した職員もいました。その様子は今も写真に残っています。
昭和47年(1972年)に沖縄が本土に復帰し、その後昭和49年(1974年)4月にコザ市と美里村が合併して「沖縄市」が誕生しました。同年11月3日に沖縄市誕生市民祭典が行われ、その場で豊中市と沖縄市は「兄弟都市宣言」に調印しました。ここに「兄弟都市」豊中と沖縄が誕生したのです。
なぜ「兄弟都市」なのか
一般的に都市間で交流関係を結ぶ場合は「友好都市」「姉妹都市」とされることが多いですが、なぜ豊中市と沖縄市は「兄弟都市」なのでしょうか?
それは、沖縄の「いちゃりばちょーでー(出会えば兄弟)」という言葉に由来していると考えられています。また、竹内元豊中市長の著書では、「豊中学校」で両市の職員が机を並べて仕事をしている間に、同僚意識が強くなり、個人同士の付き合いも深まり、いつとはなしに兄弟都市と言われるようになったと記されています。
兄弟都市としての両市の歩みは、「広報とよなか」令和6年6月号でも取り上げています。興味のある人は、ぜひこちらもチェックしてみてください。
沖縄市探訪紀
豊中市と沖縄市が兄弟都市となって50周年という記念すべき節目を迎えた今年。
豊中市役所から広報戦略課の職員が沖縄市へ取材に伺ってきました。
ここからは沖縄市で見つけた豊中市との繋がりや魅力的なスポットを紹介していきます!
沖縄市役所
まずは、ご挨拶に立ち寄った沖縄市役所の玄関前で見つけたこちら。
…この見覚えのある緑のキャラクターは…!!
なんと!豊中市のキャラクター「マチカネくん」が沖縄に!
玄関前では沖縄市の兄弟都市・姉妹都市が、そのまちのキャラクターで紹介されていました。
市役所の玄関から1階のホールへ入ると、縦約4メートル、横約6.5メートルもある大きな壁画が目を引きました。
なんとこの絵、平成5年(1993年)の沖縄市役所新庁舎竣工を記念して豊中市から贈ったものなんです。
ちなみに、この前年、豊中市役所第二庁舎の竣工を記念し、兄弟都市友好のシンボルとして、沖縄市から「友好のシーサー」(作:宮城秀雄氏)が贈呈されています。壁画はその返礼でもありました。
市役所に来られた人で「なんで豊中にシーサーが?」と思われた人もいるのではないでしょうか。
沖縄こどもの国
続いてやってきたのはこちら『沖縄こどもの国』です。
ここは動物園や子ども向けの体験施設などが併設された施設で、休日は親子連れや観光客でとても賑わっているそうです。取材日は平日でしたが、たくさんの観光客の姿を見かけました。
そんな『沖縄こどもの国』にも豊中市ゆかりのものがあります。
それがこちら。
『合奏』の像(作:吉田叡示)は、昭和45年(1970年)に同園が開園した記念に、翌年2月に豊中商工会議所などの団体が募金を集め、「将来が明るく楽しいものに」と願いを込めて贈ったものです。
長い年月の間にさびなどが目立っていたため、令和元年にNPO法人とよなかおきなわ応援団が地元の皆さんと協力して修復し、説明板を設置しました。
このように、豊中市と沖縄市の友好を示すシンボルが両市にさまざま存在しています。
沖縄アリーナ(OKINAWA ARENA)
ここからは沖縄市の魅力に迫るため、いくつかの施設をご紹介します。
まずやってきたのがこちら『沖縄アリーナ』です。
令和3年2月に完成したばかりの沖縄アリーナは、FIBAバスケットボールワールドカップ2023の日本会場に選ばれるなど、日本発の本格的バスケアリーナとして活用されています。
また、プロバスケットボールチーム『琉球ゴールデンキングス』のホームアリーナでもあり、頻繁にホームゲームが開催されています(沖縄市は同チームのホームタウン)。
スポーツだけでなく、コンサートや展示会など多岐にわたるイベントが開催されており、沖縄市の新たなランドマークとなっています。
ちなみに、11月2日と3日におおきにアリーナ舞洲(大阪市)で行われる『大阪エヴェッサvs琉球ゴールデンキングス』のBリーグ公式戦は、豊中市民応援デーとして予定されています。豊中市に在住・在学・在勤の人には優待がありますので、この機会にプロバスケットボール選手の雄姿を見に行ってみませんか。
※申し込みなどの詳細は広報とよなかや市ホームページなどでお知らせします。
沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート
つづいてはこちら『沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート』です。
ヒストリートでは、沖縄市の戦後史に焦点をあて、当時の写真や物が詳細な解説とともに展示されています。
現在、豊中市ではヒストリートから展示パネルをお借りして「平和パネル巡回展 沖縄市の沖縄戦とコザ孤児院」を実施中です。
沖縄市内の戦闘の特徴、戦災状況、難民(住民)収容所、コザ孤児院と慰霊祭など、沖縄戦がもたらした当時の状況をパネルで学習できます。
平和を考える機会としてぜひ足を運んでみてください。
コザ・ミュージックタウン
つづいてはこちら『コザ・ミュージックタウン』です。
商業施設と公共施設が一体となった施設で、表通りに面した壁面には"音楽のまち沖縄市"を象徴するエレキギターのモニュメントが設置されています。
館内には、音楽ホールとスタジオを併設する『ミュージックタウン音市場』や『エイサー会館』などがあります。
また、例年、沖縄を代表するロックイベント「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」の会場となるなど、沖縄市の文化の中心地として親しまれています。
沖縄全島エイサーまつり
今回の取材のメインはこちら『第69回 沖縄全島エイサーまつり』です。
沖縄の夏の風物詩として、旧盆明け最初の週末3日間で開催されるお祭りで、毎年30万人もの人が訪れる県内最大のエイサーイベントです。
今年は8月23日から25日の3日間開催され、最終日の25日に取材を行いました。最終日はまつりの「本祭」として各青年会による演舞に加え、県外の団体も参加します。
会場の外からでも三線や太鼓の響きが聴こえてきて、周辺はまさにエイサー一色!
そして兄弟都市提携50周年を迎える今年は、なんと豊中市からも「豊中エイサー豊優会」が出演しました!!
--豊優会の演舞の様子--
地元の青年会にも引けをとらない演舞を披露し大いに会場を沸かせた豊優会。
演舞後、会長の大城さんは「兄弟都市提携から50周年という節目に招いていただき感無量です。これからも豊優会が両市の架け橋になれたらと思っています」と語ってくれました。
最後に
ここまで兄弟都市としての歴史を振り返り、沖縄市の魅力をご紹介してきました。豊中市と沖縄市の深いつながりを知っていただけたのではないでしょうか!
今年は11月3日に「豊中市・沖縄市兄弟都市提携50周年記念式典」を予定しているほか、10月19日、20日の豊中まつりでは沖縄ステージや10年ぶりとなる道じゅねーも開催します。その他、さまざまな沖縄芸能を織り交ぜた歌舞劇「綾庭の宴」など今後さまざまなイベントを予定しています。ぜひこの機会に両市の絆を感じてみてください。
今回の取材の様子はYouTubeのショート動画でも公開しています。
よければぜひコチラもご覧ください!