見出し画像

「とよみゅー」で豊中の歴史に触れる

こんにちは!
豊中市の歴史といえばみなさん何をイメージしますか?千里ニュータウンの誕生や大阪万博の開催など比較的最近の出来事を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
実は豊中には約2万年も前の旧石器時代から人が住んでいて、現在に至るまでさまざまな歴史があるんです。
今回は、市に残る貴重な歴史資料を間近に見て、豊中の歴史に触れることができる豊中市立郷土資料館「とよみゅー」を紹介します。


1.「とよみゅー」って?

 「とよみゅー」(庄内栄町)は、市に残る歴史・文化財に関する豊富な資料を保存・活用する施設として、旧庄内少年文化館の建物を整備し、令和4年(2022年)11月にオープンしました。館内では市が所蔵する歴史・文化財資料のうち約200点を常設展示しています。
 市の文化財担当課は40年以上かけて、先史時代から現代までの歴史資料や文化財を収集・保管してきました。市の収蔵物には、公共施設などの建設前の発掘調査で見つかった考古資料や、市民が所有している古い蔵などから出てきて市に寄贈いただいた文化財なども含まれており、その数は、考古資料(石器・土器・木器など)が収納箱にして約13,000箱、歴史資料(古文書・古地図・武家諸道具など)約9,000点、民俗資料(農道具・生活道具・郷土玩具など)約7,000点、その他戦争資料数百点、専門図書約30,000冊にものぼります。

 「とよみゅー」で展示しているのは、そのうちのほんの一部ではありますが、各時代の特徴を象徴する代表的な資料として市の文化財担当職員が厳選したものです。


 ちなみに、「とよみゅー」という愛称は、豊中市立郷土資料館の英語表記である「TOYONAKA  CITY  MUSEUM」を略したものであり、また、音楽(ミュージック)あふれるまち豊中にあるミュージアムという意味も込められています。昨年11月に開館1周年を記念して愛称を募集した結果、市内外から78件の応募があり、選考の結果、決定しました。

郷土資料館「とよみゅー」の施設情報
所在地:豊中市庄内栄町5-4-14
開館時間:9時30分~17時(最終入館は16時30分)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)*詳細は下記の市HP内の開館カレンダーをご覧ください
入場無料。駐車場は障害者用1台あり。バリアフリートイレあり。

アクセス方法

2.いざ、はるか昔の豊中へ・・・


エントランスを入ってすぐ、マチカネワニに案内されるように右奥に常設展示室があります。
マチカネワニとは、昭和39年(1964年)に大阪大学豊中キャンパス(待兼山町)の工事現場から発見された約45万年前に生きていたワニ。その後の発掘調査で体長が約7mもあったことがわかりました。豊中市のキャラクター「マチカネくん」もこのワニがルーツなのです。

マチカネくん

常設展示室では、
1章 : 原始〜古代「とよなかのあけぼの」
2章 : 中世「中世のムラと港のにぎわい」
3章 : 近世「お殿様の時代と農村の暮らし」
4章 : 近代〜現代「住宅都市とよなかの誕生」
と年代別に代表的な資料を展示しています。

郷土資料館「とよみゅー」の1階館内図

約45万年前の先史時代には、こんなにも大きなワニが豊中の大地を歩いていたんだなぁ…と太古の昔に思いをはせながら展示室に入りました。

マチカネワニ(体長約7m)の復元骨格のイラスト

ホンモノを楽しむ

豊中ではたくさんの古墳や遺跡が発見されています。今も発掘調査が進められており、そこから数千年以上前のムラの様子が分かることもあるんだとか。

約2万年前に当時の人が狩りで使用していた「ナイフ形石器」。割ると鋭い刃ができるサヌカイトという火山岩からできています。豊中の遺跡から多数見つかっており、約2万年前に豊中の地に人が住んでいたことを証明しています。

サヌカイトは旧石器時代~弥生時代にかけて石器の素材として利用されていました


昭和10年(1935年)から昭和11年にかけて行われた、旧庄内小学校(現在は庄内さくら学園が建っている)の校舎の建設の際に、建設現場から出土した「庄内式土器」。弥生時代から古墳時代へ移り変わる中間期の土器で、弥生土器と土師器(古墳時代の土器)の両方の特徴を持っており、古墳の出現という日本の国家形成史を考える上で、非常に重要な土器として古墳時代の研究者から特に注目されています。

内側が薄く削られており(1~2mmのものもある)、底は軽く尖っている。これは当時の人々が、炊事などの際に中のものに早く火を通すため工夫したことを表しています。


中世の荘官屋敷の様子が総合的に復元できる貴重な文化財で、平成21年(2009年)に国の史跡となった「春日大社南郷目代今西氏屋敷」。桜井谷・原田・小曽根・服部・穂積の一帯に広がる春日社の荘園「垂水西牧(たるみにしまき)」の経営を行った荘官「南郷目代 今西氏」のお屋敷です。約750年近く経った現在も屋敷地には今西氏が居住し、主屋や南郷春日神社本殿を守り続けています。

中世のコーナーでは、発掘から分かった当時の様子が解説されています。
所在地は豊中市浜1‐8‐23



豊中の誕生

江戸時代には原田神社のある岡町付近を中心に人とモノが行き交うまちとしてにぎわうようになりました。

 明治22年(1889年)に市制・町村制が施行され、摂津国豊島郡新免村、南轟木村、山ノ上村、桜塚村、岡町村の5つの村を合併して豊中村ができました。豊島郡の中央にあたることから名付けられたとのいわれがあります。このときはじめて「豊中」という地名が生まれました

 明治から昭和にかけては箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚線)の開通と駅周辺の開発とともに、豊中は文教都市・住宅都市として急速に発展し、今に至ります。


常設展示はこの一室のみですが、時代ごとの展示物と解説を順に見て回ると、だいたい1時間くらいかかりました。

豊中のまちの歴史については、市ホームページでも紹介していますので、ぜひご覧ください。今まで意外と知らなかった発見があるかも!?

3.見るだけじゃない。聞く、触れる体験も

 「とよみゅー」では常設展だけではなく、学芸員資格を持つ館職員や大学教員による、史跡から分かるまちの歴史についての講演や、実際に文化財に触れることのできる企画展も随時開催しています。

 私が訪れた日は、企画展「くらしと道具のうつりかわり」が行われていました。

この企画展は、小学校の社会科の「昔の暮らしや道具から、当時の人々の知恵や現在に至るまでの歴史を知る」という学習カリキュラムでも活用されており、小学校低学年から楽しめる内容になっています。

明治~昭和の時代に使われていた道具や当時の写真などを間近で見て、昔の人々の暮らしぶりや知恵を知ることができます。

電気やガスがなかったこの時代には、火を使った道具がたくさんありました。

2階の体験学習室では大正〜昭和半ば頃によく見られた家の中の様子を再現しており、展示されている道具を実際に触ることもできます。

今はすっかり見なくなったダイヤル式電話機。ダイヤルを回して電話をかける様子にびっくりする子どももいるそう。

4.ちょっと知るともっと好きになる 「とよみゅー」のこれから

 今回初めて「とよみゅー」を訪ねましたが、豊中には思っていた以上に古い歴史があり、時代ごとに節目となる出来事があって今につながっていることを実感し、豊中のことをもっと知りたくなりました。

 「とよみゅー」ができるまでは、これほど多くの豊中の歴史・文化財資料に間近に触れることのできる機会は年数回の特別展のみと限られていましたが、今は誰もが自由に見ることができます。


市は、郷土資料館「とよみゅー」の運営にあたって以下の方針を定めています。

方針1:市内の歴史・文化財をまとめて調査研究し、タイムリーに成果を公開・発信する
方針2:誰もがわがまち豊中の歴史・文化財に親しみ、楽しみ、学べる場を提供する
 方針3:未来を創造する資源としての歴史・文化財をみんなで次世代の子どもたちへつなぐ

また、これらの方針に基づき、市内外のみなさんに楽しんでいただける事業を展開するとともに、今後は歴史資料のデジタル化とデジタルコンテンツを通じたまちの歴史や文化の発信にも取り組みます。

過去に開催されたイベントの様子 (左)講演会 (右)文化財の一般公開

令和6年度は次のような企画展が予定されています。(※現時点(2024年2月22日現在)の予定です)
まだ「とよみゅー」に行ったことがない人、もっと豊中のことを知りたい人はぜひご来館ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

私は生まれも育ちも豊中市ではないのですが、縁あって、社会人になってから豊中市で働くことになりました。広報戦略課に配属されて1年目で、まだまだ豊中市について知らないことがたくさんあるなと感じており、日々勉強中です。
「とよみゅー」を訪れてみて、豊中にはたくさんの遺跡があることを初めて知りました。また、遺跡から出てきた歴史資料から当時の様子を想像するのが楽しく、実際に現地を訪れてみたいなと思いました。

今回の企画展は小学生でも分かるように平易な文章で書かれており、私も小学生の子どもがいるので、次は子どもと一緒に行ってみたいなとも思いました。

これからも私自身が豊中のことをもっと知っていくとともに、みなさんに豊中のことを知ってもらって好きになってもらえるような楽しい情報を発信していきたいと思います。






みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!